2015年2月26日木曜日

朴裕河の複合的な間違いを糺すメモ





朴裕河は先行研究をまったく考慮していない。
そのため間違いは複合的であり、多肢に渡る。

ネットの中の朴批判をメモ









本書でも、能川元一氏が熊谷奈緒子『慰安婦問題』についての補足:先行研究の扱い方における不備について 指摘している点がそのまま当てはまると思われる。野戦酒保規定改正等の日本軍慰安所の制度的裏付けに触れていない。そのため例えば杉田敦氏の書評のように「戦地への移動手段等を提供した日本政府に構造的な責任があることは決して否定できないが…・・・」というように、日本軍慰安所制度が業者の主体的な商行為に便宜を与えたものに過ぎないかのような誤解を招いている。しかし日本陸軍は1937年9月29日の「陸軍省 陸達第48号「野戦酒保規程改正」」で慰安所を軍の正式の施設として設置できるように制度を改正している。これにより軍は自ら主導権を持って慰安所の設置を実行し、業者が軍の依頼又は命令を実行できるように移動手段等を提供したのであり、例えば、軍は漢口に慰安所を設置する際には福原や松島の遊郭業者に軍命を出して出店させているという。*1



連行時の年齢と就業中の年齢を区別せずに取り上げている。
実際には、「わたしが一番幼かったよ。行った人のなかでは。ほかの人たちはみんな二〇歳過ぎていた。(『強制』5、三五頁)、「私たちのところには二〇人ほど残った。彼女たちはすこし年を取っていて、みんな二〇歳過ぎていた。全羅道からも来ていたし、慶尚道からも来てたよ」(同、八七頁)と語っている。本人以外は「二〇歳以上」だったと強調し、元慰安婦たちは、「少女慰安婦」の存在が必ずしも一般的ケースではなかったと話しているのである。


(中略)


まだ戦争中の一九四四年八月、当時のビルマミッチーナー(Myitkyina)で捕虜になって米国戦争情報局の尋問を受けた朝鮮人慰安婦たちの「平均年齢は二五歳」だった(「Japanese Prisoner of War Interrogation Report No.49」、舟橋洋一 二〇〇四から再引用)。そしてある元朝鮮人日本兵慰安婦たちが「二〇、二一歳」だった自分たちより年上で「お姉さん」と呼んでいたと語る(『海南島へ連行された朝鮮人性奴隷に対する真相調査』)
『帝国の慰安婦』p.64

筆者は特に「日本人捕虜尋問報告第49号」を参照し朝鮮人元「慰安婦」の平均年齢を25歳と推定している。これは報告書中の「The interrogations show the average Korean "comfort girl" to be about twenty-five years old, uneducated, childish, and selfish. 」という一節を参照しており、確かに一九四四年の尋問時の平均年齢は25歳くらいと言えるのかもしれない。しかし、彼女達がビルマに来たのはその2年前の一九四二年である。しかも、報告書の付録Aに記録されている「慰安婦」たちの年齢からは平均25歳などと結論付けられない。
従軍慰安婦』(吉見義明)でこの点について言及している箇所を引用しておく。
(……)捕虜となった二〇名の連行された時の年齢は、一七歳から二九歳までだが、二一歳未満が一二名もいた。(……)
p.95-96


 ちなみに、本書では日本人捕虜尋問報告第49号に言及する際、舟橋洋一の『歴史和解の旅』(朝日選書、2004)からの再引用という体裁を取っており、筆者は原文を確認したのかどうかも疑問である。


 p.94~p.95
将校憲兵たちは、兵士の暴力や軽蔑から慰安婦を守る役割をもしていた。慰安所の「規範」でお酒や暴行を禁じていることもその一つだであろう(『政府調査』2ほか)。もちろんそれは次のように、外出を管理する「権力」を持っていたことも示す。しかし、たとえ「二、三ヵ月に一度」程度のものだったとしても(慰安所によってその規定は異なっていたようで慰安婦たちはさまざまに話している)、それは外出や廃業の自由がなかったとするこれまでの考えを翻すものだ。


 ここに来てからは時々外出もしました。いつでもできるわけではなくて、位の高い軍人が許可をしてくれると、外に出ることが可能でした。二、三ヵ月に一度出かけたかな。将校たちが行くとき、いっしょに行きました。私たちだけではだめです。軍人といっしょに車に乗って行くのです。(『強制』3、131~132頁)


外出に許可が必要だった、当人達だけで外出することができなかったという証言がなぜ、外出の自由がなかったとするこれまでの考えを翻す根拠になるのかが(控えめに言っても)よく分からない。朴裕河氏は、本書で元慰安婦たちの証言や千田夏光の著作などを引用しながら「同志的関係」などのレトリックを用いて「慰安婦」像を独自に描写しようと試みている。しかし、その描写は氏のこのような「自由」観をベースにしているのかもしれない。


『帝国の慰安婦』で朝鮮人の元「慰安婦」の人びとは日本軍と同志的関係であったというけど、ならば日本人「慰安婦」こそ日本軍と同志的関係にあったと言い得るわけだが、それでいいのだろうか?


「日韓請求権協定による「経済協力」は実質的な補償・賠償であった、日本軍「慰安婦」の請求権は韓国政府により放棄されたため、元「慰安婦」女性たちに日本政府に損害賠償を求める請求権はない」という主張


日韓協定に基く「経済協力」の性格について朴は以下のように「事実上の補償」「賠償」であると主張する。


「日韓両国は国交を正常化するにあたり、過去のことについて話しあい、その結果として日本は韓国に合計一一億[ママ]ドルの無償・有償金[ママ]や人的支援[ママ]をした。しかしその提供は、「独立祝賀金」と「開発途上国に対する経済協力金」との名目でなされたものだった。つまり、日本政府は、莫大な賠償をしながらも、条約[ママ]ではひとことも「植民地支配」や「謝罪」や「補償」の文言を入れていない。つまり事実上は補償金でありながら、名目は補償とはかかわりのないようなことになっていたのである。皮肉にもこのことは、九〇年代の「基金」が事実上は政府が中心となったものでありながら、あたかも国家とは関係ないかのような形をとったことと酷似している。」(247)


賠償請求権否定論を補強する。


「繰り返すまでもなく、慰安婦たちの多くが過酷な人権蹂躙的状況にいたことが確かな以上、そのことに対して後世の人によるなんらかの謝罪と補償が行われるのは当然のことである。しかし韓国憲法裁判所の決定は、個人が被害補償を受ける機会を奪ったのは日本政府ではなく韓国政府だったこと、そして九〇年代にもう一度日本政府による補償が行われ、相当数の慰安婦が日本の補償を受け入れたことは見届けていないようだ。何よりも、このときのすべての判断は「朝鮮人慰安婦」に対する不十分な認識と資料に基づいて下されたものだった。」(193頁)

韓国政府がこのとき日本の意見を受け入れて個人補償部分を残しておいたなら、ほかの被害者もそれぞれ〈適法〉な補償を受けることが可能だったかもしれない。しかし韓国政府はそうはしなかったし、これまで慰安婦や被害者たちがほとんどの裁判で負けた理由はまさにここにある
 日本政府を相手にした裁判がこれまでずっと敗訴してきたことに関して、韓国は、日本に謝罪意識がないことと捉えて非難してきた。しかし、韓国の訴訟が敗訴したのは単に〈日本の謝罪意識がない〉ためのことではない。すでによく知られているように、一九六五年で終わっていると日本が考えていることの背景には、このような事情もあったのである。個人の請求分を、代わりに受け取ってしまって、日本に対してもはや個人請求をできなくしたのは、残念ながら韓国政府だった。そしてそれは、時代的な限界でもあった。」(188頁)



『朝日新聞』(2014年12月7日付朝刊)に掲載された政治学者・杉田敦による『帝国の慰安婦』の書評を知った。杉田は本書『帝国の慰安婦』を次のように評価する(強調は引用者)。

「本書で著者は、政治的な争いの中で、肝心の当事者である女性たちが置き去りにされがちなことを問題とし、韓国の運動団体側の資料からも引用しつつ、女性たちの生の声に耳を傾けようとする。[中略]戦地への移動手段等を提供した日本政府に構造的な責任があることは決して否定できないが、募集や運営を直接手がけた、朝鮮人を含む業者の責任も問うべきだという。
 こうした内容を含む本書の韓国語版は運動団体から告訴され、著者は韓国で攻撃の的となっている。ナチス高官の弁明をも受けとめ、一部のユダヤ人によるナチス協力にさえ言及したハンナ・アーレントが、ユダヤ人社会で孤立した経緯が思い出される。
 そもそも日本の植民地支配がなければ女性たちが戦地に赴くこともなかったろうし、彼女たちの運命は、支配の記憶と重ねられてきた。しかし、欧米や韓国が日本だけを責めたために、女性差別的な家父長制や、利益のために戦争を行う国民国家体制に問題の根源があることが見失われてしまったと著者はいう。
 責任を広くとらえすぎて、責任追及を困難にするとの批判もあろう。しかし、苦境の中で、複雑な問題に極力公平に向き合おうとした努力は特筆に値する。この問題提起に、日本側がどう応えていくかが問われている。」
「韓国は、〈道徳的に優位〉という正当性による〈道徳的傲慢〉を楽しんできた。「被害者」に対しては疑問を提起しない、人権をめぐる意識構造に安住してきたともいえるだろう。それは、表面的に脱帝国主義の顔を持っていたが、そのような志向性が、罪を犯してしまった加害者の羞恥と悔悟を理解しようとしたことはない。傲慢は、想像力に乏しい。そしてそのような傲慢と糾弾は相手をかえって萎縮させる。そういった道徳的志向性が、相手の屈服自体を目指す支配欲望のねじれた形になったこともしばしばあった。たとえば「天皇が私の前にひざまずいて謝罪するまで私は許せない」(「ニュースロ・コム」二〇一一年一二月一三日付)と話す慰安婦の言葉は、そのような心理を表すものである。
 しかし、屈服させたい――ひざまずかせたい欲望は、屈辱的な屈服体験のトラウマによる、もう一つの強者主義でしかない。また、大日本帝国の第二者として欧米連合軍捕虜を虐待した歴史を思い起こすと、そのような欲望が目新しいものでもないことがわかる。それは、植民地化の傷が作った、ねじれた心理構造と言うべきだろう。」(299-300頁)


 この罵倒は度を越した名誉の侵害としか考えられない。訴訟においてこの箇所が問題になっているかはわからないが、本書を読んで憤激する当事者が存在するであろうことだけは容易に理解できる。



⑦ http://kscykscy.exblog.jp/22813455/ (鄭栄桓氏)
この本で朴は、朝鮮人日本軍「慰安婦」の置かれた状況は多様であったと繰返し説く一方で、自らは個別の証言や伝聞、文学作品の描写をパッチワークのようにつなぎ合わせつつ推測も交えて「彼女たちは…」と一般的に論じており、その驚くべき内容もさることながら、方法という側面からみても無視できない問題を抱えている。特に朝鮮人「慰安婦」と日本軍を「同志」と記述した箇所は、こうした問題点が最も明確にあらわれている部分の一つといえる。
 
 この本の基本的な視角は、朝鮮人・台湾人「慰安婦」は中国やインドネシアなど占領地の「慰安婦」とは異なる、というところにある。朴は次のように指摘する。


「職業軍人であったある人物は、中国人などより朝鮮人慰安婦をより多く募集したのは彼女らが自ら知ることになった事実を「敵に通報したり軍事情報を流すことが無か」(121頁[千田夏光『従軍慰安婦―“声なき女”八万人の告発』:引用者注])ったからだと語る。「朝鮮人慰安婦」はこのように中国やインドネシアのような占領地/戦闘地の女性らと区別される存在だった。いわば日本軍との基本的な関係において決定的に異なっていた。植民地となった朝鮮と台湾の慰安婦はどこまでも「準日本人」として帝国の一員であり(もちろん、実際には決して「日本人」になりえない差別があった)、軍人たちの戦争遂行を助ける関係であった。それが「朝鮮人慰安婦」の基本役割であった。」(『帝国の慰安婦』60頁。強調は引用者、以下同。)


朴は「帝国の慰安婦」は「日本軍との基本的な関係」において他の日本軍「慰安婦」たちと異なっていた、と主張する。この主題が論じられているのは「第二章 慰安所にて――風化される記憶たち」の「1.日本軍と朝鮮人慰安婦――地獄のなかの平和、軍需品としての同志」である。この節では、千田夏光『従軍慰安婦―“声なき女”八万人の告発』、田村泰次郎の小説「春婦伝」、古山高麗男の小説「蟻の自由」、そして韓国挺身隊問題協議会が編んだ証言集を用いて議論が展開される。


(1)「帝国の慰安婦」たちは、過酷な生活を生き抜くため、国家が求めた肉体的・精神的「慰安」者としての役割を受容した


 千田の本に登場する、ある日本軍兵士の日本人慰安婦に関する証言――「立派に死んでください!」と言われたという回顧――に触れながら、朴は日本国家は「帝国の慰安婦」に日本軍人の身体的「慰安」に加え、精神的「慰安」も要求したが、こうした「精神的「慰安」者としての役割――自己の存在に対する(多少無理な)矜持が彼女たちが直面した過酷な生活を耐えぬく力になることもありえただろうことは、充分に想像できることだ」(61頁)とし、次のように論じる。


「もちろん、「朝鮮人日本軍」がそうであったように、「愛国」の対象が朝鮮ではなく「日本」であったという点で、「朝鮮人慰安婦」たちを日本軍[ママ→人?]慰安婦と同様に扱うことはできない。しかし同時に、そうしたジレンマを忘れ、目の前に与えられた「嘘の愛国」と「慰安」に没頭することは、彼女らにとって一つの選択でありえたという事実を無視することはできない。日本軍との恋愛や結婚が可能であったことは、こうしたジレンマを抱くことを放棄した者たちの選択であったと見ねばならない。あるいは幼ければ幼いほど日本人意識が強かったであろうから、ジレンマとしてすら考えなかった者たちが遥かに多かったかもしれない。」(62頁)


 また同じく千田の本にあらわれる、ある業者の証言――日本人慰安婦のなかには借金を返しても仕事をやめようとしない者もいた、それはこんな身体でも軍人のため、国家のために身体を捧げることができると彼女たちが喜んだからだ、と答えた記録――を引用し、次のような解釈を提示する。


「もちろんこれは日本人慰安婦の場合だ。だが朝鮮人慰安婦もまた「日本帝国の慰安婦」であった以上、基本的な関係は同じであったとみなければならない。そうでなくては敗戦前後に慰安婦たちが負傷兵の看護もし、洗濯や裁縫もした背景を理解できない。」(62頁)


 つまり、日本人「慰安婦」と同様、「帝国の慰安婦」であった朝鮮人「慰安婦」も、兵士の精神的「慰安」を行うという役割を引き受け、そこに苦しい生活耐えるなかでの「矜持」を見出していた、という。次に移ろう。


(2)「帝国の慰安婦」たちのなかには日本兵と「愛」と「同志意識」で結ばれていた者もいた


 これは以前にも触れたことがあるが、ある元「慰安婦」が、一人の日本兵のことを忘れられないと語った証言に触れ、朴はなぜそのようなことが起こったのかについて以下のように論じている。


「もちろんこうした記憶たちはどこまでも付随的な記憶であるほかない。仮に世話をされ、愛し、心を許した存在がいたとしても、慰安婦たちにとって慰安所とは抜け出したい場所であるほかないから。だとしても、そこでこういった愛と平和が可能であったことは事実であり、それは朝鮮人慰安婦と日本軍の関係が基本的には同志的な関係だったからである。問題は彼女たちにとっては大事だった記憶の痕跡を、彼女たち自身が「すべて捨て去」ったことである。「それを置いておけば問題になるかもしれない」という言葉は、そうした事実を隠蔽しようとしたのが、彼女たち自身であったことを示す言葉でもある。そしてわれわれは解放以後ずっと、そのように「記憶」を消去させて生きてきた」(67頁)


 続けて朴は、古山高麗雄の小説「蟻の自由」にあらわれる「慰安婦」の描写を紹介しながら、同様に以下のように指摘する。


「ここには騙されてきたと言いながらも「軍人たちが銃弾を撃ち込まれること」と「慰安婦になること」を、ただ運が悪かったとみなし軍人を恨まない慰安婦がいる。彼女がこのように語ることができるのは、彼女がすでに植民地となって長い土地で育ち、自らを「日本」の一員と信じたためであろう。いわば彼女の目の前にいる男性は、どこまでも同族としての「軍人」であるのみで、敵国としての「日本軍」ではない。彼女が日本軍を加害者ではなく、自らと同様の不幸な「運」を持つ「被害者」とみて共感と憐憫を示すことが出来たのも、彼女にそうした同志意識があったからだ。」(75頁)


 さて、説明は不要かもしれないが、一読すればわかるようにこれら二つの「日本軍との基本的な関係」を論じる際の朴の手法には深刻な問題がある。


 まず、(1)で朴の挙げる証言は、いずれも日本軍兵士や日本人業者が語った、日本人「慰安婦」についての証言であり、そもそも朝鮮人「慰安婦」は全く登場しない。兵士や業者という「利用者」「管理者」の視線からなされたことを踏まえた史料の検証をおこなわずに、これらを日本人「慰安婦」の実態、しかも「意識」を示す証言として用いることは問題であろう。この日本人「慰安婦」の発言自体、一般化しうるものなのかも確かではない。しかも、それをただちに「帝国の慰安婦」であったから「基本的な関係は同じ」として、朝鮮人「慰安婦」にあてはめるに至っては完くの飛躍というほかない。(1)に関する朴の叙述は、このように二重の意味で問題があるのである。


 (2)も同様である。日本軍と「同志的な関係」にあった、「同志意識があった」という表現は証言や小説には登場しない朴の言葉であり、解釈である。言うまでもないことだが、ある個人が日本兵の思い出を語ることと、「朝鮮人慰安婦」と日本軍が「同志的な関係」にあったという解釈の間には、はるか遠い距離がある。証言の固有性があまりに軽視されているのだ。しかも、後段に至っては、(1)で触れた千田の集めた証言の場合と同じく、古山の視点から描かれた小説の描写を、あたかも「彼女」の意識を示す材料であるかのように用いている。古山の小説から朝鮮人「慰安婦」としての「彼女」の意識、しかも日本軍との「同志意識」なるものの存在を論じるという方法自体が、すでに破綻しているのである。


 朴は「愛と平和と同志がいたとしても「慰安所」が地獄のような体験であった事実は変らない。それはいかなる名誉と称賛が付き従うとしても戦争が地獄でしかありえないことと同様である」(76頁)と断りを入れているが、全く根拠を示さぬまま、「同志がいた」という極めて重大な日本軍「慰安婦」の自己認識に関する推測を呈示したことにこそ、最大の問題があるといえる。
 
朴はこの節での検討をふまえて、韓国社会や支援者の認識を以下のように批判する。


「この間、慰安婦たちはただ自身らが経験したことを淡々と語ってきた。しかしその話を聞く者たちは自身が聞きたい話だけをよりわけて聞いてきたわけだ。それは慰安婦問題を否認する者であれ、支援する者であれ、異なるところはない。われわれのなかに位置を占めた日本軍と朝鮮人慰安婦のイメージは証言の一方の面に過ぎない。こうした意味ではわれわれみながこの人びとの体験を歪曲するのに加担してきたわけだ。そこでの慰安婦はもはやありのままの慰安婦ではない。彼女たちの記憶を聞く者が願う「新たな記憶」であるのみである。」(80頁)


「彼女たちはこうした記憶を特別に強調しはしなかった。モノのみならず記憶までも、一度発話した後には、われわれの社会では「捨てられ」てきた。いわば彼女たちが自身の大切な記憶を捨てることは、彼女ら自身が選択したことではない。「問題」になるであろうと考えられた「社会」の抑圧である。それは彼女の記憶たちが「被害者としての朝鮮」に亀裂をもたらすことを慮る無意識的な了解事項であったといえる。しかし慰安所の苦痛を忘れさせてくれたかもしれない、また異なる記憶たちを無化させ、忘却させたことは、彼女たちにとってもう一つの暴力ではなかったか。」(68頁)


 しかし、これまでの検討からみるに、むしろ「新たな記憶」を創り出しているのは朴自身ではないかと思わざるをえない。仮に「異なる記憶」にこだわるというのなら、証言と証言者の固有性に徹底的にこだわり、安易に「彼女たちは…」「朝鮮人慰安婦は…」と一般化すべきではないはずである。証言や資料のつぎはぎと、そのつぎはぎされた資料群からすらも導きだせない根拠なき解釈――しかも元「慰安婦」たちが日本軍に「同志意識」を持っていたという重大な解釈――を展開することこそが、「一つの暴力」なのではないだろうか。

⑧http://readingcw.blogspot.jp/2015/02/blog-post_25.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

2015年2月25日水曜日


金富子氏報告「朴裕河『帝国の慰安婦』への疑問」

15年2月17日に当会が開催した、朴裕河『帝国の慰安婦』についての読書会は、金富子氏(植民地朝鮮ジェンダー研究)による報告(「朴裕河『帝国の慰安婦』への疑問」)から始まった。

 同氏の報告は、朴裕河氏が、朝鮮人「慰安婦」は「帝国の慰安婦」であり、朝鮮人「慰安婦」を日本人「慰安婦」に限りなく近い存在として描いていることに疑問を呈した。朴氏は、植民地期朝鮮や朝鮮人「慰安婦」への事実関係に関する研究の蓄積をふまえずに、多くの事実誤認をしていることを指摘した。以下はその例である。

 一点目は、朴氏の記述には、植民地朝鮮での「挺身隊」に関する歴史的事実への混同や誤解があるにもかかわらず、「挺身隊と慰安婦の混同」を「植民地の<嘘>」等と決めつけたことである。二点目は、被害女性の証言等を恣意的に選別することで朝鮮人「慰安婦」の大部分が「少女」であった事実を否定し、さらに「性奴隷」を記憶の問題にすり替えることで「性奴隷」にされた実態を否定する論法であることである。最大の問題は、日本軍より朝鮮人業者の責任が重いとしたことであり、「慰安婦」制度を立案・管理・統制した日本軍の責任を軽視・解除しようとしたことだ、とした。兵士との恋愛や同志的な関係、多様な「慰安婦」像を強調してリベラルとフェミニズムを装うが、日本軍の責任と植民地支配責任を否定する歴史修正主義的な「慰安婦」言説であると述べた。

 また、朴の著作には方法論的に大きな限界があるとし、研究史の最初期に位置する千田夏光(1973)や森崎和江(1976)などに依拠しているが、1990年代以降に被害女性の証言・公文書の発掘等によって飛躍的に進んだ「慰安婦」制度に関する研究をはじめとする膨大な歴史研究の成果を軽視したものである。事実とフィクションを混同する手法は、朴氏が「文学研究者だから」では言い訳できないレベルであるとも述べた。さらに、同書には、事実関係の誤解・誤用・憶測、不明確で恣意的な根拠・出典、引用のずさんさ(根拠なき「〜考えるべきだ」「〜はずだ」「違いない」の乱発)などがあることも指摘した。

 にもかかわらず、この著作が日本のリベラル系、フェミニズム系の知識人、メディアに絶賛されるのは、植民地朝鮮の実相や朝鮮人「慰安婦」、植民地主義に対する理解の浅さ、思想性に根源的課題があることを問題視した。つまり、朴氏の著作は、「朝鮮人は日本人」であり対等だった、植民地支配は「合法・有効論」だった、という日本で有力な植民地支配認識から導きだされた「帝国の慰安婦」説であるが、これは実際にあった民族の支配/被支配の関係性(植民地主義)をみえなくさせる効果がある。さらに本書は、韓国側が日本軍の責任、植民地支配責任を問えなくする構造をつくっているため、これに向き合いたくない(主に)日本側にとって都合のよい言説になっている、とまとめた。

(まとめ:斉藤正美)

朴裕河は「いろんな側面があることが隠蔽されている」と述べるが、元々公開された被害者証言に書いてあることを「隠蔽」としており、甚だしく不当な理屈である。
「強姦された処女」も多くいたのは事実。 http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64889148.html


マルディエムさんhttp://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/63852767.html

金学順 キムハクスンさん、黄錦周 ファンクムジュさん、文必基 ムンビルギさん、李容朱 イヨンスさん、文玉珠 ムンオクチュさん、李順玉 イスノク 、李得南 イトクナムさん、金台善 キムテソン、崔明順 チェミョンスン、 徳景 カンドクキョン、尹 頭理 ユンドウリ http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64010102.html 
朴裕河が引用している『強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』の中にもたくさん「強姦された」証言がある。彼女こそそれを「隠蔽」している。


2015年2月9日月曜日

ネトウヨの邪な「ライダイハン」=強姦の子騒動



ネットの中には>ライダイハンを書かないのか<

とか言ってるバカがまだいるんだけど、認知のゆがみがひど過ぎる。

ライダイハンは、ほとんどが出稼ぎ労働者の子供であって、日本人の会社員がフィリピンで現地妻に産ませたジャピーノ(1万人)とほとんど変わらない。

http://togetter.com/li/655513

また野村進によるとライダイハンの数は2000人程度。

昔、サピオがライダイハンについていろいろ書いていたので、批判していたら、サピオは

「その多くは戦争終結後、ベトナムに流入したビジネスマンと現地女性との間に生まれた子供と言われるが、韓国兵のレイプから生まれたライダイハンが少なからずいるのも事実だ。」(2013.12)

と少し修正した。

しかし、”戦争終結後”というのは、まったくのデタラメだし、”韓国兵のレイプから生まれたライダイハンが少なからずいるのも事実だ”と強弁しているが、根拠は何もない。

ネトウヨ相手に商売しているサピオは、卑劣なことにこの記事をネットに公開せず、さらに2014年2月号では、「女性たちの中には、「ライダイハン」と呼ばれる戦争犯罪の落とし児を身ごもる者も多数いた。」と書いている。

それで「多数」ってどのくらいですかね?
そもそも何か根拠がありますかね?

2010年ころから、挺対協が調査したところ、強姦の子供は7人しか発見できなかった。

そんなものを「多数」にしてしまうサピオは何か独自調査でもしたのか?調査したなら出してみろ。

すでに複数の人間が調査して、ライダイハンのほとんどが「現地の妻の子供」という結論を得ており、2004年9月18日の釜山日報の記事でさえ、
「ライタイハン」問題は、韓国人がベトナム戦争、そして特に1975年にベトナムの共産化した後、ベトナム「妻」と子供を捨てて無責任に韓国に帰国したことから始まる。
と書いている。

これをどこかのバカウヨがいつもの嘘をついて「強姦の子供」にしちゃったわけだが、本当に邪な奴らだ。

どこが「民主国家」なんだ?!


      「民主国家としてはあるまじき行為」ブーメランが直撃



かつて、菅義偉官房長官は、韓国検察が産経新聞前ソウル支局長を刑事起訴した件で、次のように声明を発表しました。

「特に民主主義国家では最大限尊重されるべき報道の自由との関係では、法執行は抑制的でなければならないと考える。そのことは国際社会の常識で、そうした国際社会の常識と大きくかけ離れており、本日中に政府としては韓国に事実関係の詳しい確認と、懸念をしっかりと伝達したい。報道の自由や表現の自由は極めて重要な問題である。民主国家としてはあるまじき行為だと考えている」

ところが、産経起訴など、かすんでしまう政府与党による司法介入が元最高裁判所裁判官の瀬木比呂志氏によって、告発されています。

瀬木比呂志『ニッポンの裁判』

おそろしい。

批判されたからという理由で、最高裁に判断を変えさせる自公与党とそれを唯々諾々と承った日本の最高裁判所。

2001年頃から与党である自民・公明党の圧力により、最高裁を中心に裁判所が名誉毀損の主張を簡単に認めるように基準を変え、賠償額も高額化させ、謝罪広告掲載要求なども積極的に認めるようになったことで、両党による実質上の言論弾圧が行われているという。

日本には3権分立など無いらしい。

もはや、腐敗の極にある。


ビジネスジャーナル

http://biz-journal.jp/2015/01/post_8747.html

http://biz-journal.jp/2015/02/post_8860.html

2015年2月8日日曜日

安倍首相の教科書修正圧力に対して、米歴史学者の抗議声明   妄言者は誰か?

安倍首相の教科書修正圧力に対して、抗議する声明が米歴史学者から出ている。


抗議しているのは、マニング教授などの権威者19人で、日本政府による米教科書会社への圧力を「安倍政権、慰安婦関連の確立された歴史の削除の試み」「右翼過激派がジャーナリストや学者らを威嚇している」と批判している。


ハンギョレ新聞によるとパトリック・マニング(ピッツバーグ大学)、アレクシス・ダデン(コネチカット州大学)教授など19人の歴史学者たちは5日、「日本の歴史家たちを支持する」と題した声明で、「私たちは最近、日本政府が第二次世界大戦当時、日本帝国主義による性的な搾取の野蛮なシステムの下で苦痛を経験した日本軍慰安婦について、日本およびその他の国の歴史教科書の記述を抑圧しようとする最近の試みに驚愕を禁じ得ない」と述べたという。文部省の検定を通過しなければ教科書として販売できない日本では、政府の圧力も通用して来た。最近では数研出版が’慰安婦’’強制連行’の表現を削除した件が有名だ。
しかし同じやり方が海外に対して通用するわけがない。昨年末に日本政府は米国の歴史教科書『伝統と遭遇:過去に対するグローバルな視点』を出版したマグロウヒル社と著者に、慰安婦関連の文章を削除することを要求し、この学問の自由に対する干渉に批判が高まっていた。


「日本軍は14~20歳の約20万人の女性を慰安所で働かせるため強制的に募集、徴用し、『慰安所』と名づけられた軍施設で働くように強要した。日本軍は、このような事実を隠蔽しようと多くの慰安婦の女性たちを虐殺した」の記述をめぐって


この「慰安婦」の記述はいくらかの誤謬を含んでいるというのが、日本政府の主張だが、歴史学者でもない閣僚や官僚たちが判断できることではありえない。何よりもこの記述は安倍たちにとって大先輩である荒船清十郎代議士発言を根拠にしている。

雑誌『世界』2015年2月号に掲載されたラインハルト・ツェルナー教授(ボン大学、日本韓国研究)論文によると欧米で慰安婦の虐殺が広く知られるようになったのは、自民党の荒船清十郎代議士の発言だったという。荒船清十郎代議士は1907年生まれ、戦前にはすでに政治家として活動し埼玉県会議員となり、戦後は国務大臣、衆議院副議長なども務め、日韓条約交渉の特別委員であった。荒船は、1965年11月地元の後援会で「朝鮮の慰安婦が14万4千人死んでいる。日本の軍人がやり殺してしまった。」と発言したのである。

  朝鮮の慰安婦が14万4千人死んでいる。日本の軍人がやり殺してしまった ー 荒船


この発言はかなり有名であり、1992年3月21日の参議院予算委員会で清水澄子議員がこれにからめた質疑をしており、同年の12月には公明党の中西珠子議員が、アメリカ人弁護士カレン・パーカーにその情報を伝えている。パーカーは1994年に国連に論文を提出し、「慰安婦の内生き残ったのは約四分の一」と書いている。これを情報源に1998年ゲイ・マクドーガルが報告書を提出した。マクドーガルは荒船発言を根拠に「・・・レイプセンターでの性奴隷制度を20万以上の女性に強制した」「これらの女性の25%しかこのような日常的虐待に耐えて生き残れなかったと言われる」とした。

           妄言者は誰か?


最近、安倍政権の閣僚たちや右派論壇によって、「吉田清治記事を書いた朝日新聞が慰安婦の嘘を広めた」という宣伝がなされたが、吉田清治など国際社会にはほとんど影響を与えていない。影響が大きかったのは、勲一等旭日大綬章さえ受けている極めて地位の高い自民党政治家・荒船清十郎の発言であった。