西岡力は2007年の著作『よくわかる慰安婦問題』でこんなことを書いていた。
①
(文芸春秋とプレジェクトチームを造り、その)「調査の基本は、慰安婦が貧困のために身売りせざるを得なかった女性たちの悲劇の一つなのか、軍などの公権力を使った強制連行による「性奴隷」的存在存在だったのかを明らかにすることだった。」(『よくわかる慰安婦問題』p32)
つまり「身売り」だとただの「悲劇」で、「強制連行(狭義の)」だと「性奴隷だ」というのだ。
頭がおかしくなりそうなこんなデタラメな2者択一問題にしてしまうのは、彼がそもそも「奴隷制度とは何か?」についてまったく考察を欠いているからである。
だから、
②
「奴隷とは、「主人の所有物」となり、金銭の報酬なしに働かされ、殴られても文句を言えない存在だ。」(『よく分かる慰安婦問題』p131)
とか
③
「国際的に見れば、吉田清治のいうような軍人による暴力的連行があったならば、性奴隷だが、日本人慰安婦に比べて保護規定の適用が厳格でなかったなどの理由で性奴隷だったということなど考えられない。」 (『よく分かる慰安婦問題』p133)
とかいう珍妙な理屈が登場してしまうのである。
どこから手をつければいいのか分からないが、まず
①の「貧困による身売り」であれば、奴隷制ではないという事だが、「「貧困による身売り」であろうと「軍などの公権力を使った強制連行」であろうと、それが「奴隷制か、否か」を決定せしめる主要な要素にはならない。
国際法では、「暴力的連行」がなくても「地位または状態」(1926年の奴隷制条約定義)によって、それは「奴隷制度」の一種でああると認識されるのである。
西岡力は③で、「国際的に見れば、吉田清治のいうような軍人による暴力的連行があったならば、性奴隷だが、日本人慰安婦に比べて保護規定の適用が厳格でなかったなどの理由で性奴隷だったということなど考えられない。」などという知ったかぶりな意見を述べているが、国際的には国連人権委員会が示しているように、連行時における暴力や強制は、「慰安婦制度が性奴隷制度だったか、否か?」にはまるで関係していない。ただ「地位または状態」が問題なのである。