2015年4月6日月曜日

秦郁彦の「慰安婦」論説問題点① 都合によってコロコロ変わる詭弁の論説

          

         
           日本公娼制度は奴隷制度である



秦氏は2013年.6月13日の TBSラジオ 【荻上チキ・セッション22】番組上で、対局相手の吉見義明氏が内地の公娼制度も性奴隷制度だと思う、と発言するとそれに反発している。




             <ラジオ大局> https://www.youtube.com/watch?v=3ANBEo8Ju14

吉見 ・・・・・・内地の公娼制度も、僕は性奴隷制度だと思いますけれども、   それはなぜかっていうと、要するに人身売買を基礎にして成り立っているわけですよね。 ・・・・・(略)


これに対して秦氏は

 ・・・・・・ ちょっと私それはね、同意しかねますね。内地の公娼制をね、これが奴隷だということになってくると、   そうすると今現在オランダの飾り窓のね、女性たちだ、ドイツも公認してますしね、それからアメリカでもね、   連邦はだめだけれども、ネバダ州は公認してるんですよ。これみな奴隷、性奴隷てことになりますよね。


と答えている。「「内地」つまり「日本の」公娼制度は奴隷制度であった」という意見に反対しているのである。

ところが秦氏はかつて『慰安婦と戦場の性』の中で、日本の公娼制度についてそれを「奴隷制度・・・にちがいない」と書いているのである。

書きだしてみよう。


しかし娼妓達が自由を奪われた悲惨な「かごの鳥」であるという実態は変わらず、救世軍などによる廃娼運動が盛り上がるのを見た内務省は1900年に「娼妓取締規則」を制定して、全国的な統一基準を作ろうと試みた。だがこの法令が一般的に近代公娼制度を確立したものと評されるように、必ずしも彼女たちの境遇が著しく改善されたわけではなかった。たとえば、前借金が残っていても廃業の自由は認められたが、楼主(抱え主)側の妨害や警察の非協力があり、実際には廃業しづらい上に、新たな生業につくにも容易ではなかった。また廃業しても、前借金の契約自体は有効(1902年の大審院判決)とされたので、借金返済のできぬ女性は元の境遇に戻らざるを得なかった。 
        (『慰安婦と戦場の性P28)



悪徳業者にかかると、女の稼ぎから割高の衣食住経費を差し引くので、前借金はなかなか減らず、強欲な親が追借を求めたりすると、雪だるま式に増える例も珍しくなかった。                                                             『慰安婦と戦場の性』P36)



まさに「前借金の名の下の人身売買、奴隷制度、外出の自由、廃業の自由すらない20世紀最大の人道問題」(廊清会の内相あて陳述書)に違いない。            ●    『慰安婦と戦場の性』P36、37)


「前借金の名の下の人身売買、奴隷制度、外出の自由、廃業の自由すらない20世紀最大の人道問題」という意見を「違いない」と書いている。

こうして秦郁彦氏自身が明らかに「日本の公娼制度は奴隷制度であった」という考えを自著の中で肯定しているのである。もしそれが「一部悪徳業者」のことだけを言っていたつもりだとしても、その前に「娼妓達が自由を奪われた悲惨な「かごの鳥」であるという実態は変わらず」(P28)と娼妓全体が縛られて自由が無く窮屈な「かごの鳥」であったと書いている。

それなのに「内地の公娼制度も、僕は性奴隷制度だと思います」という吉見氏の意見に対して秦氏は「それは違う」と述べて否定している。

これはもう何が言いたいのか?まったく分からないが、とにかく自分の過去に書いたものさえ否定して詭弁の言い逃れをしていると言う以外のなにものでもあり得ない。

甚だしい欺瞞がそこには存在しており、自分の書いたものさえ否定しながらその場しのぎの言い逃れを述べ、まるでソクラテスに論争を挑んだソフィストたちのように論争に勝つための詭弁に終始している。

そして日本の公娼制度の話をしているのに、なぜかドイツやアメリカの公娼制度に話をすり替えているのである。

海外では個人で営む自由売春が多かったが、都市での売春システムは、しばしばギャングの資金源ともなっていたようだ。日本の売春システムは、ヤクザ者、女衒、収奪に近い搾取をおこなう遊郭業者の伝統の中で、さらに輪をかけて悲惨であり、世界一の規模を誇っていた。一大遊郭国家が実現しており、明治の開国後も「貸し座敷」の仮面をつけた建前と裏の実態の大きな乖離の中で、政界や警察と癒着しながら近年までその悲惨な姿が保たれていたのである。

江戸時代の吉原などの遊郭は、この稼業に落し込んだ娼妓を客から金を抜きとる道具として酷使し、一応の法を全て御破算とする裏道を造って娼妓に廃業させず、梅毒に廃人となるか、死ぬかしか抜け道もないような苛酷な世界であった。だからこそ日本では、業者を「忘八」と呼び、娼妓業を「苦界」と呼んだのである。そこには人権など存在していなかった。娼妓達はただただ楼主のために金を稼ぐ道具であり、金もうけ至上主義から日本独自の「回し」という5人でも10人でも客がいる限り、客を取らせるという血も涙もないやり方が蔓延したのである。これはもうそれ自体を”集団強姦”というしかないだろう。その上楼主はピンはね の上にもピンはねを重ねたので、神埼清は昭和期でさえ「玉割は、9対1の比率」であるばかりでなく、「着物を新調させて莫大な金利を負わせ、手元に残らないようにしたのだ」と書いている。(神埼清『売春』現代史出版会より)

日本軍慰安婦はこの日本の遊郭の伝統を引き継いで造られたので、一部の酌婦を除いて「回し」を専門にし、多くの場合、業者にピンはねをされていたのである。水野いくさんは「(私は)1日一人相手にすれば良かった。朝鮮人とクロンボはたくさん客をとらされていた。」(宮下忠子『思川 山谷に生きた女たち 貧困・性・暴力 もうひとつの戦後女性史』)と述べている。

ところが、たいていの国の娼婦達はどうであろうか?秦氏が例示した現在でも存在するというネバダ州の公娼制度下の売春婦たちは、「前借金の名の下の人身売買」の後「苦界」に沈んだのであろうか?一日に何人くらいを<回し>をさせられているのか?ピンはねはどのくらいあるのか?どの程度苛酷な世界なのかを秦氏はちゃんと示すべきである。

それが甚だしく人権を蹂躙しているなら、今頃アムネスティや国連人権委員会あたりが糾弾しているはずだが・・・もしそれが日本の公娼制度と似た制度であるというなら、ぜひ秦氏はネバダ州で声をあげ「現代の奴隷制度を廃止せよ」と叫ぶべきである。
しかし秦氏は決してそうはしないだろう。
ただの言い逃れに過ぎないからである。

自分が昔書いた事をコロコロと翻し、それとはまったく異なる別の意見をいうのが、秦論説の特徴であると言える。いわいる”カメレオン戦術”というやつで、論争する相手は秦氏が昔書いたり、言ったりした内容を全て覚えている訳ではないので、翻弄される事もあるだろう。その場しのぎで相手を負かすことのみを目的としているので「私・・同意しかねますね」と平気で言えるわけだが、それは自分が昔書いたものさえ否定してしまう。例え「同意できない」にしても、以前自分が書いていた内容を考慮し、「部分的にですが同意します」というしかないだろう。

この意見をコロコロ変わる姿勢は、著作物全体に及んでおり慰安婦問題で85年の著作や92年の著作では近現代専門の歴史学者の中では、唯一「朝鮮半島で半強制的に連行した」と書いているのだが、いつの間にか翻し「朝鮮半島で強制連行は無かった」と言い始め、「慰安婦の人数」について9万人とかいうそれなりに妥当な数字を書いていると思ったら、やがて1万数千人にまで減らしている。その7年の間には、これほど大きく意見を変えざるを得ないような新事実が発見されたわけでもなく、政治的な思惑が有ったものと思われる。

1993年、秦氏が『昭和史の謎を追う〈上〉〈下〉』を書いてから、1999年に『慰安婦と戦場の性』を書くまで7年間に、自民党内部では、靖国3会派によって歴史検討委員会が立ちあがり、日本侵略戦争の正統化と慰安婦否定を始めた。やがて「明るい日本国会議員連盟」や「教科書議連」に繋がり、その方面では隠然たる力を持っていた奥野(元法相、元国土庁長官)が「慰安婦は商売」と妄言し、国内外に批判を呼び起こした。
こうした過程の中でこれに連動・呼応して96年には日本を守る国民会議が慰安婦否定キャラバンをしたり(9月22日~)、慰安婦否定に主眼を置いた新しい歴史教科書を造る会が生まれたりしたのである。こうしてそのお仲間である秦郁彦氏は、唱える意見を次第にスライドして行ったのであろう。




            近現代専門の歴史家の中では唯一「強制連行説」を書いていた秦郁彦



慰安婦問題には前史というべき期間がある。1991年8月、金学順さんが名乗り出て以来たくさんの元慰安婦の方々が名乗り出て来られ、戦後補償裁判になると共に統計処理が始まり吉見義明氏達の歴史学実証研究の対象となったのである。
こうした研究の前には、戦記や日誌、日本人元慰安婦の証言や兵士の証言、それを追いかけたルポなどが書かれていた。

その代表的著作の一つである千田夏光『従軍慰安婦』の解説を書いた秦郁彦氏は、

『日本陸軍の本・総解説 (1985)


「昭和期の日本軍のように、慰安婦と呼ばれるセックス・サービス専門の女性軍を大量に戦場に連行した例は、近代戦史では他にない。その78割は強制連行に近い形で徴集された朝鮮半島の女性だったが、建前上は日本軍の「員数外」だったから、公式の記録は何も残っていない。・・・・他に類書がないという意味で貴重な調査報告といえよう。」



と書いている。
私の知る限り、この時代、近現代専門の歴史家の書いたもの中でこんなに明確に「78割は強制連行に近い形で徴集された朝鮮半島の女性」などと書いた例は他に知らない。家永裁判で有名な家永三郎氏が吉田清治の著作を鵜呑みにしたものはあったが、家永氏は歴史学者ではあっても、古代思想史が専門であり、近現代専門の歴史家ではない。

近現代専門の歴史家がこんな風に書いた意味は大きい。最近の右翼論壇では「朝日が捏造した強制連行」などと非難するのが流行らしいが、朝日もまたこの手の秦氏の主張に影響を受けた可能性が高い。なんせハーバードやコロンビア大学で学び、プリンストン大学で教鞭をとったほどの専門家がこう書いているのだ。専門家でも何でもない1新聞社の記者が「従軍慰安婦=強制連行」と書いても無理からぬところであろう。

さらに1993年の『昭和史の謎を追う〈下〉』ではこう書いている。


・・・・・・・その後も軍服まがいの服装に軍刀をぶらさげて「軍命令」をちらつかせたり、「いずれ女子挺身隊で徴用されるぐらいなら」と言葉巧みに持ちかける業者や周旋人が横行した。ところが、1941年夏の関特演あたりから朝鮮半島で官斡旋の募集方式が導入されたようだ。 関特演は対ソ戦の発動に備え演習の名目で在満兵力を一挙に40万から70万へ増強する緊急動員だったが、島田俊彦『関東軍』 の記述や千田夏光が主務者の関東軍後方参謀 原善四郎元中佐からヒヤリングしたところでは、約2万人の慰安婦が必要と算定した原が朝鮮総督婦に飛来して、募集を依頼した( 千田『従軍慰安婦 正編』 )
結果的には娼婦をふくめ8千人しか集まらなかったが、これだけの数を短期間に調達するのは在来方式では無理だったから、道知事  群守  面長(村長) のルートで割り当てを下におろしたという 。 実際に人選する面長と派出所の巡査は、農村社会では絶対に近い発言力を持っていたので「娘達は一抹の不安を抱きながらも 面長や巡査が言うことであるから間違いないだろうと働く覚悟を決めて」応募した。実情はまさに「半ば勧誘し、半ば強制」( 金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』 )になったと思われる。●                                                      『昭和史の謎を追う(下)』 秦郁彦 著第41章 従軍慰安婦たちの春秋  P334,335)




面長や巡査が「半ば勧誘し、半ば強制」で集めたというのである。

このようにして、「連行時における半ば強制」を認めていたが、やがて吉田清治のデタラメを暴くとともに、「吉田清治の言うような強制連行は無かった」という見解を強引に捻じ曲げ、「強制連行は無かった」と意見を変更、変節したのである。

人間がコロコロと意見を変えれば、その人の意見は信用できないというしかない。
なぜなら、その人は今はこう書いていても、またどうせ変えてしまうからである。そういう一時の気の迷いのような説を信用するのはばかげている。一方において、吉見氏の学説は、非常に多くの一次史料に裏付けられており、変更する必要も無いものである。

さて、次は秦氏の述べる「慰安婦の人数」について言及しよう。これも大きく変えている。
9万人と2万人弱ではあまりに違いすぎると思うが。

                      

               慰安婦問題研究家 堀家康弘


「秦郁彦氏が自分で反論したいなら相手になるよ」


2015年4月1日水曜日

ネトウヨ現象学考「小学生以下の精神年齢」

「ブース!ブース!ブスのクセに」

子供のころ、悔しまぎれにこんな事を言った思い出は誰にでもあるだろう。

何が悔しいのかはともかくとして、女の子を傷つけるのが目的の言葉であることは確かだ。

しかし、たいていの人は小学生を卒業する頃になると、知性や品性が成長し、例え女性と対立しても、悔しくても、もうこんなセリフははかなくなる。言うべきことではないと感じるようになるからだ。

しかし、世の中には小学生をちゃんと卒業できなかった人もいるようだ。









在米のフェミニストの「コヤマ エミ」は、そりゃ〜フェミニストになるだろうと、一目でわかる風貌ですので、会場周辺で、見物できるかも知れません。近くの人は、是非、行って、写真を撮ってきて下さい。



以前のコメントを見る

藤森 初恵 ハートマン軍曹シリーズ、好きです!っつ〜か、この体格で言われてもね…余計な事しとらんと!まず自己管理からやり直し!
2014年12月11日 11:41 · いいね! · 6



瀬戸山 章 「人さ見た目で判断するのは良ぐね。」とじっちゃが言ってたので
一応、エミザハットの主張も読んでみました(゚∀゚)が、
「~であったに違いない」のオンパレードでしたw終了
2014年12月11日 11:51 · いいね! · 11

ま め >>瀬戸山様
エミ様のページを見に行った皆は熊さんにであったに違いない。
2014年12月11日 11:53 · いいね! · 7

野上 公嗣 「そりゃ〜フェミニストになるだろうと、一目でわかる風貌ですので」ワロター(笑)
2014年12月11日 11:55 · いいね! · 8

大西 正哲 ドスコーイ
2014年12月11日 12:03 · いいね! · 6

高倉 研介 私は教育業界の人間です。このような英語だけペラペラな軽薄な輩が海外で日本を貶めている現状を打破しなければならないと思います。日本を英語で発信する努力が必要です。
2014年12月11日 12:03 · いいね! · 20

坂元 育子 「女性の風貌による差別発言は厳禁です!(笑)」餌食にされます故。。。コワイ!
2014年12月11日 12:06 · いいね! · 5

野上 公嗣 男女を問わず「風貌」には、その人の感性や姿勢、考え方が表れるものです。フェミニストは、フェミニストに特有の風貌をしています。あの、毎度うるさいオカッパオバサンや、ミニカーコレクターの経済評論家のように♪
2014年12月11日 12:10 · いいね! · 7

朝雲 学人 見物という表現がぴったりですね。どうしてこうも左寄りの人は汚いのか、、、
2014年12月11日 12:22 · いいね! · 8

谷藤 義秀 シェアしました!さぁ、楽しい事は広めましょうね〜( ̄▽ ̄)b
2014年12月11日 12:32 · いいね! · 3

新谷 誉行 なんですかこの、出来損ないの重ね饅頭みたいな奴は?(;´д`)
2014年12月11日 12:35 · いいね! · 6

高橋 知良 ブ○もどき?(ーー;)
2014年12月11日 12:38 · いいね! · 3


安東 正男 たまたま昼休み食事中にこれ見てたら食欲なくなった
2014年12月11日 12:51 · いいね! · 6

Mayumi Takeda オトコかと思いましたw
2014年12月11日 12:59 · いいね! · 9

宮本 雅生 これはまたタンクトップよりマワシのほうが似合いそうな・・・w
テロ対策3法の施行で反日左翼も日本国内での活動は沈静化するでしょう。
米国での反日活動が活発化しそうですね。
2014年12月11日 13:07 · 編集済み · いいね! · 9

Itsuco E-sojima 日本人男性に好かれないから、反日フェミニストになったの?
悪魔の心を持っているのが、顔から滲み出ていますね、この人。・・・もっと見る
2014年12月11日 13:33 · いいね! · 11

木村 健一 え、本当に日本人?
てっきりK国の人かと(以下略)…(^^;;
2014年12月11日 14:41 · いいね! · 8

蕪主 百獣 これに山口智美が出席
https://www.facebook.com/events/1490386651242176/?pnref=lhc
2014年12月11日 14:56 · いいね! · 8

宜野湾 二郎 無理です ごめんなさい!!w
2014年12月11日 14:58 · いいね! · 7



益田 政利 完璧に自己管理できないおばさんですね。理論はくずれつつあるのを無視しているのですね
2014年12月11日 16:02 · いいね! · 8

舛田 宏 カノジョに、地球の重力にいかに抗して立っているのか大会(体重大合戦)で対抗する時はお呼び下さい。かなり自信はありますので(`・ω・´)b
2014年12月11日 16:17 · いいね! · 8

Yuka H Shick もう、皆さんの好き勝手言いたい放題コメントで腹筋かなり割れました。
2014年12月11日 16:22 · いいね! · 12

Takeshi Yamamoto フェミニスト(笑)
2014年12月11日 16:34 · いいね! · 7

谷藤 義秀 木村健一氏に、一票!( ̄▽ ̄)b 俺も、そう思った!( ̄▽ ̄)b
2014年12月11日 17:03 · いいね! · 4

紺野 茉莉花 え?女性ですか?
2014年12月11日 17:08 · いいね! · 5

木村 健一 谷藤様有難うございます。m(_ _)m
2014年12月11日 17:12 · いいね! · 3

谷藤 義秀
2014年12月11日 17:18 · いいね! · 3

神前 あそん 日本では在日の偽名禁止になりましたが、在日から米国等に移住した場合も偽名禁止に出来んのかな?出来んのだろうな?コモンローとかで・・・
2014年12月11日 17:27 · いいね! · 7

Teruno Jen ♪♪♪
Teruno Jenさんの写真
2014年12月15日 15:38 · 編集済み · いいね! · 15

高橋 修
2014年12月11日 18:21 · いいね! · 8

高橋 修 不細工妖怪!反則、一匹即退場!!
高橋 修さんの写真
2014年12月11日 18:25 · いいね! · 9

Toyo Ohashi たぶん日本人、日系ではないですね! 朝鮮系ですね!
2014年12月11日 18:42 · いいね! · 7

Softbank Junky だ、誰かこのフェミニストを優しく包み込む勇者を…………
真実の姿を、優しく観せてあげられる英雄を召喚してくれ…………・・・もっと見る
2014年12月11日 18:44 · いいね! · 6

Fred Orangefield このDebuth(日本語でどうぞ!)、先月親父さんとコメント戦争していましたよ。ぼくもちょっと参戦しましたが、単に人がキライなだけなんだと思います。自分が好かれないから。https://www.facebook.com/fendnow/posts/1539492456295987・・・
2014年12月11日 18:59 · いいね! · 6

緒方 彩子 力士のように素敵な容姿ですね(もちろん褒めてます)。そういえば日本に力士エと命名された方もおりました。
2014年12月11日 19:29 · いいね! · 5

Haji Ieno [エミ小山はフェミニスト、アジア、生存者、堤防、奇妙な、セックスワーカー、インターセックス、XジェンダーとCRIP政治を合成するマルチ発行社会正義の活動家と作家です] グーグル翻訳が壊れて暴走しています
2014年12月11日 20:15 · いいね! · 7

朝野 良子 海江田~~支那人が不動産を買いあさっているけど、どうすんだよ?日本じゃなくなる方がいいんですよね。海江田!!
2014年12月11日 22:02 · いいね! · 5

Okamoto Keiichi カウンター・カウンターデモには、このスローガンで行こうぜ!「人は40を越えたら自分の顔に責任を持たなければならない。-エイブラハム・リンカーン」
2014年12月11日 22:23 · いいね! · 5

Yuka H Shick ↑Σ(゚д゚lll)はっ‼︎
2014年12月11日 22:35 · いいね! · 3

鷹雄 松五郎 ―――「おーい、二階の奴ら~い」「何だ何だ」「表ェ見ろい!!化けものが出たからよ!!隣から化物が出てきた」「隣からば……ははあなるほど、おほ……見てやれ、なるほど化けもんだありゃ。へええ~見れ、こう、横にこう、あんなになっちゃってへへへ。歩くより転がった方が早ええやどうも。化けもんだありゃ、お化けやぁーい!!うわーぃ!!」←落語「三軒長屋」の台詞ですが、この顔にぴったり(笑)
2014年12月11日 23:48 · いいね! · 5

Akihiro Sano 自分さえよければいいっていう考えでしかないからフェミは嫌い。
2014年12月12日 0:07 · いいね! · 3

Noriko Takano うわぁ、ブサでぶ・・・・
2014年12月12日 1:53 · いいね! · 3

高倉 研介 フェミニストの方々が、憂いた社会は通りすぎて、寧ろ、女尊男卑な社会になってますけど何か? 上野千鶴子だのを持ち上げて今更なんなの? コイツは上手くフェミニズムを金に替えただけ… 人間としてどう敬意を払えればいいのかと…
2014年12月12日 2:39 · いいね! · 2

藤 薫 アメリカではマイノリティーの日本人、普通の事を言って居ても目立たないから思いっきり目立つように振る舞っている様ですね。山口智美の「新保守」って「極左」の隠れ蓑でしょう。慰安婦で朝日新聞が修正したが、未だ週間金曜日と山口智美は慰安婦問題に拘って居る。
2014年12月12日 6:24 · いいね! · 2

Yuka H Shick おヒマな方は、チラ見してみてくださいね。

https://www.facebook.com/fendnow/posts/1539492456295987
2014年12月12日 6:29 · 編集済み · いいね! · 3

Lee Ang この反日フェミナチ女の言動がヒドいのは事実ですが、容姿について貶すのはアンフェアで幼稚で、見ていて気持ちのいいものではありません。因みに彼女テキサス親父にまで牙剥いてます。英語が出来て在米なので厄介な敵です。
http://fendnow.org/about/
http://togetter.com/li/744670
2014年12月12日 12:05 · いいね! · 3

Eiji Suzuki この方、アメリカに居る日系二世・三世を巻き込んで、「新しい一世の日本人がー」と論議を交わしてますね。アメリカ生まれの日系人は、「アメリカの都合による歴史」を学んでいるので、思考はアメリカ人と同じ様だと思われます。(違う方もいらっしゃるとは思いますが)
2014年12月13日 5:47 · いいね! · 2




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もはや小学生以下としか言いようがない。

小山エミ氏のレポートで、「グレンデールで慰安婦像ができたからイジメが蔓延した」という嘘が暴露されhttp://togetter.com/li/661512、あげくに「グレンデール市に対し、慰安婦像を撤去を求める州裁判」のレポートがなされたhttp://togetter.com/li/788275


それどころか、右派が引き起こした裁判で迷惑を受けている日系人を取材しており、ネトウヨが感情的に反感を持ったわけだ。

それで、悪口と嫌がらせのようなことしか言えないという退廃の極致みたいな連中が集まっているわけだ。

アホらしいとしか言いようがない。






2015年3月31日火曜日

書いてない事を書いてあるかのように捏造して批判する、鄭大均の『在日・強制連行の神話』の虚構






【強制連行について】鄭大均の『在日・強制連行の神話』を最近読んだらしい人があれこれ書いている。

http://www.anlyznews.com/2013/05/blog-post_6316.html?m=1 …

この鄭大均の著作物の欠点は、簡単。

鄭大均「現在の在日が、強制連行の子孫というのは神話にすぎない」「神話は朴慶植らによって造られた」というが朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』には、「現在の在日が、強制連行の子孫」などとは書かれていない。

「一九四五年八月一五日・朝鮮人労働者は懐しい故国に向って先を争って帰国した。こうして八月一五日から一一月三○日までに自発的、集団的帰国者五二万五千名を数えた。」(p98)
と書いている。どこにも「現在の在日が、強制連行の子孫」などとは書かれておらず、匂わせてもいない。
「11月30日までに約52万人が帰国した」のであるという。


また金賛汀の『証言 朝鮮人強制連行』(1975)でも
「進駐米軍も、朝鮮人強制連行者を帰国させる以外にこの混乱を収拾する方法がないことを認め、彼らの帰国が再開された。・・・強制連行者の多くは、この時期に帰国した。」(p121~122)

と書いている。

つまり鄭大均の『在日・強制連行の神話』の「強制連行の神話は朴慶植らによって造られた」という意見の方が「神話に過ぎない」のである。
はっきり言えばデタラメ。

この事は東京大学の外村大教授も指摘している。


外村大は『朝鮮人強制連行―研究の意義と記憶の意味―』で、「鄭大均の史料の読み込み不足」「在日朝鮮人の歴史に関する基本的な知識の欠如」を指摘している。


さらに外村は『在日コリアンと強制連行―1959年発表の「外務省資料」をめぐる議論に関連して―』という著作では、
「このような"在日コリアンの大部分は強制連行で日本にやってきた"といった主張が在日コリアンの間で大々的に行われているわけではない。」
と書いている。

この鄭大均の著作を評価しているのは、ウヨクサイドだけだ。彼らには都合がいい訳だ。
「ウヨサイト」
http://www.anlyznews.com/2013/05/blog-post_6316.html?m=1 …



鄭大均の著作は信用できない。
書いてない事を書いているように扱っており不当である。

2015年2月26日木曜日

朴裕河の複合的な間違いを糺すメモ





朴裕河は先行研究をまったく考慮していない。
そのため間違いは複合的であり、多肢に渡る。

ネットの中の朴批判をメモ









本書でも、能川元一氏が熊谷奈緒子『慰安婦問題』についての補足:先行研究の扱い方における不備について 指摘している点がそのまま当てはまると思われる。野戦酒保規定改正等の日本軍慰安所の制度的裏付けに触れていない。そのため例えば杉田敦氏の書評のように「戦地への移動手段等を提供した日本政府に構造的な責任があることは決して否定できないが…・・・」というように、日本軍慰安所制度が業者の主体的な商行為に便宜を与えたものに過ぎないかのような誤解を招いている。しかし日本陸軍は1937年9月29日の「陸軍省 陸達第48号「野戦酒保規程改正」」で慰安所を軍の正式の施設として設置できるように制度を改正している。これにより軍は自ら主導権を持って慰安所の設置を実行し、業者が軍の依頼又は命令を実行できるように移動手段等を提供したのであり、例えば、軍は漢口に慰安所を設置する際には福原や松島の遊郭業者に軍命を出して出店させているという。*1



連行時の年齢と就業中の年齢を区別せずに取り上げている。
実際には、「わたしが一番幼かったよ。行った人のなかでは。ほかの人たちはみんな二〇歳過ぎていた。(『強制』5、三五頁)、「私たちのところには二〇人ほど残った。彼女たちはすこし年を取っていて、みんな二〇歳過ぎていた。全羅道からも来ていたし、慶尚道からも来てたよ」(同、八七頁)と語っている。本人以外は「二〇歳以上」だったと強調し、元慰安婦たちは、「少女慰安婦」の存在が必ずしも一般的ケースではなかったと話しているのである。


(中略)


まだ戦争中の一九四四年八月、当時のビルマミッチーナー(Myitkyina)で捕虜になって米国戦争情報局の尋問を受けた朝鮮人慰安婦たちの「平均年齢は二五歳」だった(「Japanese Prisoner of War Interrogation Report No.49」、舟橋洋一 二〇〇四から再引用)。そしてある元朝鮮人日本兵慰安婦たちが「二〇、二一歳」だった自分たちより年上で「お姉さん」と呼んでいたと語る(『海南島へ連行された朝鮮人性奴隷に対する真相調査』)
『帝国の慰安婦』p.64

筆者は特に「日本人捕虜尋問報告第49号」を参照し朝鮮人元「慰安婦」の平均年齢を25歳と推定している。これは報告書中の「The interrogations show the average Korean "comfort girl" to be about twenty-five years old, uneducated, childish, and selfish. 」という一節を参照しており、確かに一九四四年の尋問時の平均年齢は25歳くらいと言えるのかもしれない。しかし、彼女達がビルマに来たのはその2年前の一九四二年である。しかも、報告書の付録Aに記録されている「慰安婦」たちの年齢からは平均25歳などと結論付けられない。
従軍慰安婦』(吉見義明)でこの点について言及している箇所を引用しておく。
(……)捕虜となった二〇名の連行された時の年齢は、一七歳から二九歳までだが、二一歳未満が一二名もいた。(……)
p.95-96


 ちなみに、本書では日本人捕虜尋問報告第49号に言及する際、舟橋洋一の『歴史和解の旅』(朝日選書、2004)からの再引用という体裁を取っており、筆者は原文を確認したのかどうかも疑問である。


 p.94~p.95
将校憲兵たちは、兵士の暴力や軽蔑から慰安婦を守る役割をもしていた。慰安所の「規範」でお酒や暴行を禁じていることもその一つだであろう(『政府調査』2ほか)。もちろんそれは次のように、外出を管理する「権力」を持っていたことも示す。しかし、たとえ「二、三ヵ月に一度」程度のものだったとしても(慰安所によってその規定は異なっていたようで慰安婦たちはさまざまに話している)、それは外出や廃業の自由がなかったとするこれまでの考えを翻すものだ。


 ここに来てからは時々外出もしました。いつでもできるわけではなくて、位の高い軍人が許可をしてくれると、外に出ることが可能でした。二、三ヵ月に一度出かけたかな。将校たちが行くとき、いっしょに行きました。私たちだけではだめです。軍人といっしょに車に乗って行くのです。(『強制』3、131~132頁)


外出に許可が必要だった、当人達だけで外出することができなかったという証言がなぜ、外出の自由がなかったとするこれまでの考えを翻す根拠になるのかが(控えめに言っても)よく分からない。朴裕河氏は、本書で元慰安婦たちの証言や千田夏光の著作などを引用しながら「同志的関係」などのレトリックを用いて「慰安婦」像を独自に描写しようと試みている。しかし、その描写は氏のこのような「自由」観をベースにしているのかもしれない。


『帝国の慰安婦』で朝鮮人の元「慰安婦」の人びとは日本軍と同志的関係であったというけど、ならば日本人「慰安婦」こそ日本軍と同志的関係にあったと言い得るわけだが、それでいいのだろうか?


「日韓請求権協定による「経済協力」は実質的な補償・賠償であった、日本軍「慰安婦」の請求権は韓国政府により放棄されたため、元「慰安婦」女性たちに日本政府に損害賠償を求める請求権はない」という主張


日韓協定に基く「経済協力」の性格について朴は以下のように「事実上の補償」「賠償」であると主張する。


「日韓両国は国交を正常化するにあたり、過去のことについて話しあい、その結果として日本は韓国に合計一一億[ママ]ドルの無償・有償金[ママ]や人的支援[ママ]をした。しかしその提供は、「独立祝賀金」と「開発途上国に対する経済協力金」との名目でなされたものだった。つまり、日本政府は、莫大な賠償をしながらも、条約[ママ]ではひとことも「植民地支配」や「謝罪」や「補償」の文言を入れていない。つまり事実上は補償金でありながら、名目は補償とはかかわりのないようなことになっていたのである。皮肉にもこのことは、九〇年代の「基金」が事実上は政府が中心となったものでありながら、あたかも国家とは関係ないかのような形をとったことと酷似している。」(247)


賠償請求権否定論を補強する。


「繰り返すまでもなく、慰安婦たちの多くが過酷な人権蹂躙的状況にいたことが確かな以上、そのことに対して後世の人によるなんらかの謝罪と補償が行われるのは当然のことである。しかし韓国憲法裁判所の決定は、個人が被害補償を受ける機会を奪ったのは日本政府ではなく韓国政府だったこと、そして九〇年代にもう一度日本政府による補償が行われ、相当数の慰安婦が日本の補償を受け入れたことは見届けていないようだ。何よりも、このときのすべての判断は「朝鮮人慰安婦」に対する不十分な認識と資料に基づいて下されたものだった。」(193頁)

韓国政府がこのとき日本の意見を受け入れて個人補償部分を残しておいたなら、ほかの被害者もそれぞれ〈適法〉な補償を受けることが可能だったかもしれない。しかし韓国政府はそうはしなかったし、これまで慰安婦や被害者たちがほとんどの裁判で負けた理由はまさにここにある
 日本政府を相手にした裁判がこれまでずっと敗訴してきたことに関して、韓国は、日本に謝罪意識がないことと捉えて非難してきた。しかし、韓国の訴訟が敗訴したのは単に〈日本の謝罪意識がない〉ためのことではない。すでによく知られているように、一九六五年で終わっていると日本が考えていることの背景には、このような事情もあったのである。個人の請求分を、代わりに受け取ってしまって、日本に対してもはや個人請求をできなくしたのは、残念ながら韓国政府だった。そしてそれは、時代的な限界でもあった。」(188頁)



『朝日新聞』(2014年12月7日付朝刊)に掲載された政治学者・杉田敦による『帝国の慰安婦』の書評を知った。杉田は本書『帝国の慰安婦』を次のように評価する(強調は引用者)。

「本書で著者は、政治的な争いの中で、肝心の当事者である女性たちが置き去りにされがちなことを問題とし、韓国の運動団体側の資料からも引用しつつ、女性たちの生の声に耳を傾けようとする。[中略]戦地への移動手段等を提供した日本政府に構造的な責任があることは決して否定できないが、募集や運営を直接手がけた、朝鮮人を含む業者の責任も問うべきだという。
 こうした内容を含む本書の韓国語版は運動団体から告訴され、著者は韓国で攻撃の的となっている。ナチス高官の弁明をも受けとめ、一部のユダヤ人によるナチス協力にさえ言及したハンナ・アーレントが、ユダヤ人社会で孤立した経緯が思い出される。
 そもそも日本の植民地支配がなければ女性たちが戦地に赴くこともなかったろうし、彼女たちの運命は、支配の記憶と重ねられてきた。しかし、欧米や韓国が日本だけを責めたために、女性差別的な家父長制や、利益のために戦争を行う国民国家体制に問題の根源があることが見失われてしまったと著者はいう。
 責任を広くとらえすぎて、責任追及を困難にするとの批判もあろう。しかし、苦境の中で、複雑な問題に極力公平に向き合おうとした努力は特筆に値する。この問題提起に、日本側がどう応えていくかが問われている。」
「韓国は、〈道徳的に優位〉という正当性による〈道徳的傲慢〉を楽しんできた。「被害者」に対しては疑問を提起しない、人権をめぐる意識構造に安住してきたともいえるだろう。それは、表面的に脱帝国主義の顔を持っていたが、そのような志向性が、罪を犯してしまった加害者の羞恥と悔悟を理解しようとしたことはない。傲慢は、想像力に乏しい。そしてそのような傲慢と糾弾は相手をかえって萎縮させる。そういった道徳的志向性が、相手の屈服自体を目指す支配欲望のねじれた形になったこともしばしばあった。たとえば「天皇が私の前にひざまずいて謝罪するまで私は許せない」(「ニュースロ・コム」二〇一一年一二月一三日付)と話す慰安婦の言葉は、そのような心理を表すものである。
 しかし、屈服させたい――ひざまずかせたい欲望は、屈辱的な屈服体験のトラウマによる、もう一つの強者主義でしかない。また、大日本帝国の第二者として欧米連合軍捕虜を虐待した歴史を思い起こすと、そのような欲望が目新しいものでもないことがわかる。それは、植民地化の傷が作った、ねじれた心理構造と言うべきだろう。」(299-300頁)


 この罵倒は度を越した名誉の侵害としか考えられない。訴訟においてこの箇所が問題になっているかはわからないが、本書を読んで憤激する当事者が存在するであろうことだけは容易に理解できる。



⑦ http://kscykscy.exblog.jp/22813455/ (鄭栄桓氏)
この本で朴は、朝鮮人日本軍「慰安婦」の置かれた状況は多様であったと繰返し説く一方で、自らは個別の証言や伝聞、文学作品の描写をパッチワークのようにつなぎ合わせつつ推測も交えて「彼女たちは…」と一般的に論じており、その驚くべき内容もさることながら、方法という側面からみても無視できない問題を抱えている。特に朝鮮人「慰安婦」と日本軍を「同志」と記述した箇所は、こうした問題点が最も明確にあらわれている部分の一つといえる。
 
 この本の基本的な視角は、朝鮮人・台湾人「慰安婦」は中国やインドネシアなど占領地の「慰安婦」とは異なる、というところにある。朴は次のように指摘する。


「職業軍人であったある人物は、中国人などより朝鮮人慰安婦をより多く募集したのは彼女らが自ら知ることになった事実を「敵に通報したり軍事情報を流すことが無か」(121頁[千田夏光『従軍慰安婦―“声なき女”八万人の告発』:引用者注])ったからだと語る。「朝鮮人慰安婦」はこのように中国やインドネシアのような占領地/戦闘地の女性らと区別される存在だった。いわば日本軍との基本的な関係において決定的に異なっていた。植民地となった朝鮮と台湾の慰安婦はどこまでも「準日本人」として帝国の一員であり(もちろん、実際には決して「日本人」になりえない差別があった)、軍人たちの戦争遂行を助ける関係であった。それが「朝鮮人慰安婦」の基本役割であった。」(『帝国の慰安婦』60頁。強調は引用者、以下同。)


朴は「帝国の慰安婦」は「日本軍との基本的な関係」において他の日本軍「慰安婦」たちと異なっていた、と主張する。この主題が論じられているのは「第二章 慰安所にて――風化される記憶たち」の「1.日本軍と朝鮮人慰安婦――地獄のなかの平和、軍需品としての同志」である。この節では、千田夏光『従軍慰安婦―“声なき女”八万人の告発』、田村泰次郎の小説「春婦伝」、古山高麗男の小説「蟻の自由」、そして韓国挺身隊問題協議会が編んだ証言集を用いて議論が展開される。


(1)「帝国の慰安婦」たちは、過酷な生活を生き抜くため、国家が求めた肉体的・精神的「慰安」者としての役割を受容した


 千田の本に登場する、ある日本軍兵士の日本人慰安婦に関する証言――「立派に死んでください!」と言われたという回顧――に触れながら、朴は日本国家は「帝国の慰安婦」に日本軍人の身体的「慰安」に加え、精神的「慰安」も要求したが、こうした「精神的「慰安」者としての役割――自己の存在に対する(多少無理な)矜持が彼女たちが直面した過酷な生活を耐えぬく力になることもありえただろうことは、充分に想像できることだ」(61頁)とし、次のように論じる。


「もちろん、「朝鮮人日本軍」がそうであったように、「愛国」の対象が朝鮮ではなく「日本」であったという点で、「朝鮮人慰安婦」たちを日本軍[ママ→人?]慰安婦と同様に扱うことはできない。しかし同時に、そうしたジレンマを忘れ、目の前に与えられた「嘘の愛国」と「慰安」に没頭することは、彼女らにとって一つの選択でありえたという事実を無視することはできない。日本軍との恋愛や結婚が可能であったことは、こうしたジレンマを抱くことを放棄した者たちの選択であったと見ねばならない。あるいは幼ければ幼いほど日本人意識が強かったであろうから、ジレンマとしてすら考えなかった者たちが遥かに多かったかもしれない。」(62頁)


 また同じく千田の本にあらわれる、ある業者の証言――日本人慰安婦のなかには借金を返しても仕事をやめようとしない者もいた、それはこんな身体でも軍人のため、国家のために身体を捧げることができると彼女たちが喜んだからだ、と答えた記録――を引用し、次のような解釈を提示する。


「もちろんこれは日本人慰安婦の場合だ。だが朝鮮人慰安婦もまた「日本帝国の慰安婦」であった以上、基本的な関係は同じであったとみなければならない。そうでなくては敗戦前後に慰安婦たちが負傷兵の看護もし、洗濯や裁縫もした背景を理解できない。」(62頁)


 つまり、日本人「慰安婦」と同様、「帝国の慰安婦」であった朝鮮人「慰安婦」も、兵士の精神的「慰安」を行うという役割を引き受け、そこに苦しい生活耐えるなかでの「矜持」を見出していた、という。次に移ろう。


(2)「帝国の慰安婦」たちのなかには日本兵と「愛」と「同志意識」で結ばれていた者もいた


 これは以前にも触れたことがあるが、ある元「慰安婦」が、一人の日本兵のことを忘れられないと語った証言に触れ、朴はなぜそのようなことが起こったのかについて以下のように論じている。


「もちろんこうした記憶たちはどこまでも付随的な記憶であるほかない。仮に世話をされ、愛し、心を許した存在がいたとしても、慰安婦たちにとって慰安所とは抜け出したい場所であるほかないから。だとしても、そこでこういった愛と平和が可能であったことは事実であり、それは朝鮮人慰安婦と日本軍の関係が基本的には同志的な関係だったからである。問題は彼女たちにとっては大事だった記憶の痕跡を、彼女たち自身が「すべて捨て去」ったことである。「それを置いておけば問題になるかもしれない」という言葉は、そうした事実を隠蔽しようとしたのが、彼女たち自身であったことを示す言葉でもある。そしてわれわれは解放以後ずっと、そのように「記憶」を消去させて生きてきた」(67頁)


 続けて朴は、古山高麗雄の小説「蟻の自由」にあらわれる「慰安婦」の描写を紹介しながら、同様に以下のように指摘する。


「ここには騙されてきたと言いながらも「軍人たちが銃弾を撃ち込まれること」と「慰安婦になること」を、ただ運が悪かったとみなし軍人を恨まない慰安婦がいる。彼女がこのように語ることができるのは、彼女がすでに植民地となって長い土地で育ち、自らを「日本」の一員と信じたためであろう。いわば彼女の目の前にいる男性は、どこまでも同族としての「軍人」であるのみで、敵国としての「日本軍」ではない。彼女が日本軍を加害者ではなく、自らと同様の不幸な「運」を持つ「被害者」とみて共感と憐憫を示すことが出来たのも、彼女にそうした同志意識があったからだ。」(75頁)


 さて、説明は不要かもしれないが、一読すればわかるようにこれら二つの「日本軍との基本的な関係」を論じる際の朴の手法には深刻な問題がある。


 まず、(1)で朴の挙げる証言は、いずれも日本軍兵士や日本人業者が語った、日本人「慰安婦」についての証言であり、そもそも朝鮮人「慰安婦」は全く登場しない。兵士や業者という「利用者」「管理者」の視線からなされたことを踏まえた史料の検証をおこなわずに、これらを日本人「慰安婦」の実態、しかも「意識」を示す証言として用いることは問題であろう。この日本人「慰安婦」の発言自体、一般化しうるものなのかも確かではない。しかも、それをただちに「帝国の慰安婦」であったから「基本的な関係は同じ」として、朝鮮人「慰安婦」にあてはめるに至っては完くの飛躍というほかない。(1)に関する朴の叙述は、このように二重の意味で問題があるのである。


 (2)も同様である。日本軍と「同志的な関係」にあった、「同志意識があった」という表現は証言や小説には登場しない朴の言葉であり、解釈である。言うまでもないことだが、ある個人が日本兵の思い出を語ることと、「朝鮮人慰安婦」と日本軍が「同志的な関係」にあったという解釈の間には、はるか遠い距離がある。証言の固有性があまりに軽視されているのだ。しかも、後段に至っては、(1)で触れた千田の集めた証言の場合と同じく、古山の視点から描かれた小説の描写を、あたかも「彼女」の意識を示す材料であるかのように用いている。古山の小説から朝鮮人「慰安婦」としての「彼女」の意識、しかも日本軍との「同志意識」なるものの存在を論じるという方法自体が、すでに破綻しているのである。


 朴は「愛と平和と同志がいたとしても「慰安所」が地獄のような体験であった事実は変らない。それはいかなる名誉と称賛が付き従うとしても戦争が地獄でしかありえないことと同様である」(76頁)と断りを入れているが、全く根拠を示さぬまま、「同志がいた」という極めて重大な日本軍「慰安婦」の自己認識に関する推測を呈示したことにこそ、最大の問題があるといえる。
 
朴はこの節での検討をふまえて、韓国社会や支援者の認識を以下のように批判する。


「この間、慰安婦たちはただ自身らが経験したことを淡々と語ってきた。しかしその話を聞く者たちは自身が聞きたい話だけをよりわけて聞いてきたわけだ。それは慰安婦問題を否認する者であれ、支援する者であれ、異なるところはない。われわれのなかに位置を占めた日本軍と朝鮮人慰安婦のイメージは証言の一方の面に過ぎない。こうした意味ではわれわれみながこの人びとの体験を歪曲するのに加担してきたわけだ。そこでの慰安婦はもはやありのままの慰安婦ではない。彼女たちの記憶を聞く者が願う「新たな記憶」であるのみである。」(80頁)


「彼女たちはこうした記憶を特別に強調しはしなかった。モノのみならず記憶までも、一度発話した後には、われわれの社会では「捨てられ」てきた。いわば彼女たちが自身の大切な記憶を捨てることは、彼女ら自身が選択したことではない。「問題」になるであろうと考えられた「社会」の抑圧である。それは彼女の記憶たちが「被害者としての朝鮮」に亀裂をもたらすことを慮る無意識的な了解事項であったといえる。しかし慰安所の苦痛を忘れさせてくれたかもしれない、また異なる記憶たちを無化させ、忘却させたことは、彼女たちにとってもう一つの暴力ではなかったか。」(68頁)


 しかし、これまでの検討からみるに、むしろ「新たな記憶」を創り出しているのは朴自身ではないかと思わざるをえない。仮に「異なる記憶」にこだわるというのなら、証言と証言者の固有性に徹底的にこだわり、安易に「彼女たちは…」「朝鮮人慰安婦は…」と一般化すべきではないはずである。証言や資料のつぎはぎと、そのつぎはぎされた資料群からすらも導きだせない根拠なき解釈――しかも元「慰安婦」たちが日本軍に「同志意識」を持っていたという重大な解釈――を展開することこそが、「一つの暴力」なのではないだろうか。

⑧http://readingcw.blogspot.jp/2015/02/blog-post_25.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

2015年2月25日水曜日


金富子氏報告「朴裕河『帝国の慰安婦』への疑問」

15年2月17日に当会が開催した、朴裕河『帝国の慰安婦』についての読書会は、金富子氏(植民地朝鮮ジェンダー研究)による報告(「朴裕河『帝国の慰安婦』への疑問」)から始まった。

 同氏の報告は、朴裕河氏が、朝鮮人「慰安婦」は「帝国の慰安婦」であり、朝鮮人「慰安婦」を日本人「慰安婦」に限りなく近い存在として描いていることに疑問を呈した。朴氏は、植民地期朝鮮や朝鮮人「慰安婦」への事実関係に関する研究の蓄積をふまえずに、多くの事実誤認をしていることを指摘した。以下はその例である。

 一点目は、朴氏の記述には、植民地朝鮮での「挺身隊」に関する歴史的事実への混同や誤解があるにもかかわらず、「挺身隊と慰安婦の混同」を「植民地の<嘘>」等と決めつけたことである。二点目は、被害女性の証言等を恣意的に選別することで朝鮮人「慰安婦」の大部分が「少女」であった事実を否定し、さらに「性奴隷」を記憶の問題にすり替えることで「性奴隷」にされた実態を否定する論法であることである。最大の問題は、日本軍より朝鮮人業者の責任が重いとしたことであり、「慰安婦」制度を立案・管理・統制した日本軍の責任を軽視・解除しようとしたことだ、とした。兵士との恋愛や同志的な関係、多様な「慰安婦」像を強調してリベラルとフェミニズムを装うが、日本軍の責任と植民地支配責任を否定する歴史修正主義的な「慰安婦」言説であると述べた。

 また、朴の著作には方法論的に大きな限界があるとし、研究史の最初期に位置する千田夏光(1973)や森崎和江(1976)などに依拠しているが、1990年代以降に被害女性の証言・公文書の発掘等によって飛躍的に進んだ「慰安婦」制度に関する研究をはじめとする膨大な歴史研究の成果を軽視したものである。事実とフィクションを混同する手法は、朴氏が「文学研究者だから」では言い訳できないレベルであるとも述べた。さらに、同書には、事実関係の誤解・誤用・憶測、不明確で恣意的な根拠・出典、引用のずさんさ(根拠なき「〜考えるべきだ」「〜はずだ」「違いない」の乱発)などがあることも指摘した。

 にもかかわらず、この著作が日本のリベラル系、フェミニズム系の知識人、メディアに絶賛されるのは、植民地朝鮮の実相や朝鮮人「慰安婦」、植民地主義に対する理解の浅さ、思想性に根源的課題があることを問題視した。つまり、朴氏の著作は、「朝鮮人は日本人」であり対等だった、植民地支配は「合法・有効論」だった、という日本で有力な植民地支配認識から導きだされた「帝国の慰安婦」説であるが、これは実際にあった民族の支配/被支配の関係性(植民地主義)をみえなくさせる効果がある。さらに本書は、韓国側が日本軍の責任、植民地支配責任を問えなくする構造をつくっているため、これに向き合いたくない(主に)日本側にとって都合のよい言説になっている、とまとめた。

(まとめ:斉藤正美)

朴裕河は「いろんな側面があることが隠蔽されている」と述べるが、元々公開された被害者証言に書いてあることを「隠蔽」としており、甚だしく不当な理屈である。
「強姦された処女」も多くいたのは事実。 http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64889148.html


マルディエムさんhttp://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/63852767.html

金学順 キムハクスンさん、黄錦周 ファンクムジュさん、文必基 ムンビルギさん、李容朱 イヨンスさん、文玉珠 ムンオクチュさん、李順玉 イスノク 、李得南 イトクナムさん、金台善 キムテソン、崔明順 チェミョンスン、 徳景 カンドクキョン、尹 頭理 ユンドウリ http://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64010102.html 
朴裕河が引用している『強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』の中にもたくさん「強姦された」証言がある。彼女こそそれを「隠蔽」している。