2022年1月24日月曜日

『「慰安婦」はみな合意契約をしていた』(有馬哲夫)を読んでみる

 有馬哲夫氏の『「慰安婦」はみな合意契約をしていた』も読んでみた。いや、読んだのはもう4,5か月も前の話だが、面倒くさくて読後感想を書く気になれなかったのだ。忙しかったし・・ね。ともあれ、ちょっと時間ができたし、面倒でも奮起してこれからちょくちょく書いて行きたいと思う。



最初読んだ時に感じたのは、”随分、雑な史料の使い方をするのだな”・・・だった。彼が擁護しているラムザイヤー氏とよく似ている。あるいは秦郁彦氏だろうか?
右派論壇では、秦郁彦氏の『慰安婦と戦場の性』は、一種の金字塔らしいが、かなり大量にデマやデタラメが混入する著作である。史料の扱いも極めて雑である。この本の中で有馬氏も引用しているので、秦氏の緒論についてはそのうちにちゃんと批判しておこうと思う。

それにしても、有馬氏は自称「公文書学者」である。「公文書学」などという分野は初耳だし、多分有馬氏以外には「公文書学者」を名乗る人はいないのだろうが、公文書もちゃんと読めなかったのだろうか?

例えば、すぐに気づくのは、p203から「軍慰安所従業婦等募集に関する件」についてである。
有馬氏はこう書いている。
第1章でも触れた「軍慰安所従業婦等募集に関する件」が好例だが、吉見はこれを日本軍の関与を示したものだとした。しかし、この通達は各地の警察に悪徳周旋業者を厳しく取り締まるように命じたものだった。

まるでデタラメ。

一体、何をどう解釈をするとこうなるのだろう?
この公文書は【各地の警察に悪徳周旋業者を厳しく取り締まるように命じたもの】などではない。そもそも陸軍の副官から、北支方面軍と中支駐屯派遣軍の参謀長に宛てた通牒であり、警察(内務省)に向けた文書ではないのだから、「警察に命じた」りしているわけがない。指揮命令系統も違うしね。

「各地の警察に悪徳周旋業者を厳しく取り締まるように命じたもの」ではなく、現地軍に周旋業者の選定」とその選定にあたって「憲兵や警察と連絡を密」にし「社会問題にならないように」命じた文書である。

下記の文章のどこにも警察に厳しく取り締まるように言っていない事は読めばわかる話だ。



支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ故ラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或イハ従軍記者慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或イハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少カラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於テ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実施ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋ヲ密ニシ以テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス

陸支密七四五号  昭和十三年三月四日

「軍慰安所従業婦等募集に関する件」(以後「副官通牒」と呼ぶ)に関して、昔似たようなデタラメな解釈を読んだ事がある。2007年、第一次安倍政権当時、「歴史事実委員会」という右派グループが「ワシントンポスト」に意見広告を出した。その広告では、「副官通牒」を「陸軍の名義を不正に用いたり、誘拐に類するとされたりする募集方法について厳罰に処されると警告して、明確に禁止している」としていた。

(歴史事実委員会の意見広告の内容は、2012年のものだが、このサイトに画像が掲載されている

文章の中にそんな警告は見当たらないが、そういう事にしたいわけだ。

日本軍はちゃんと禁止してたんだよ。
取り締まってたんだよ。
だから・・責任は無いんだ、と言いたいのである。

こうしたムリ目な解釈をほどこす国粋主義の責任逃れの言い分が、どれほど日本に害を及ぼしてきたか、分からないほどだ。有馬氏もそこに参加したいらしい。


2021年10月26日火曜日

「歴史修正主義の主張の矛盾や欠陥を列挙して「論破」すること」には意味がないだろうか?

 


https://twitter.com/hayakawa2600/status/1451774060258463745?s=20

(このツイートは考える材料になりました。)


     「歴史修正主義の主張の矛盾や欠陥を列挙して「論破」することに意味がない」という意見について


歴史修正主義に対して、「彼らの主張の矛盾や欠陥を列挙して「論破」することに意味がない」という意見がある。

理由は「彼らは合理性のルールの枠外にあるため、真の意味では論破できないから」だという。

なるほど、「論破できない」というよりも、たとえ論理の上では打ち破っていても、彼らにそれを認めさせる事は難しいだろう。歴史修正主義は心の迷路のようなものだからだ。信念の病と言うべきだろうか。ただし彼ら自身に認めさせる事は必要でさえない。必要なのは、まだ入り込んでいない人や浅い人に、これ以上広まらないようにする事だからだ。

「歴史修正主義の主張の矛盾や欠陥を列挙して「論破」することには意味がない」という意見は欧米では多分その通りだろう。だが我が国ではそうではない。それは日本では歴史修正主義言説の方が、政府の主張や行動になっているからである。我々の知らない内に我が国政府は「歴史戦」とやらにうつつを抜かしているのだ。ゆえに我々の方が政治権力への抵抗者なのである。

そのために「論破」はしておく必要がある。「合理性のルールの枠外」にいる彼らには通じなくても、まだ今のところは「合理性のルールの枠内」にいる人にメッセージになるからである。

日本の歴史修正主義は、約40年前は右翼団体や神社本庁の機関紙の中だけで叫ばれていた小勢力だった。それは彼らの信奉する世界観の産物だからだ。

1997年、〈新しい歴史教科書をつくる会〉、〈教科書議連〉、〈日本会議〉などの団体が誕生し、羽佐間社長の売り上げ戦略の下〈産経新聞〉が完全にそっち側に行ってしまった時点でも、まだ日本の言論空間を大勢に占めるには至らなかった。彼らの歴史論説は幼稚ではあったが、執拗であり、「反日」「自虐史観」という言葉による罵倒を駆使しながら政治活動を繰り広げていた。
この時期、教科書問題では右翼団体による暴力的な脅迫さえなされている。
そしてやがてインターネットを媒介に広まり、教科書から「慰安婦」記述が消え、そして歴史改竄のために暗躍していた安倍晋三が総理大臣の地位につき、政府自体が歴史修正主義化していくという事態に陥るのである。要するに公的な言論空間を占めているのだ。

彼らは今日どんな活動をしているだろうか?


       「政府主導で”歴史戦”を 戦えるようになった」

安倍晋三などに親しい西岡力(麗澤大学客員教授 公益財団法人モラロジー研究所歴史研究室長)はこう自慢げに述べている。

西岡力   私はかねてから、歴史問題は 外務省に任せるのではなく、政府に 担当部署をつくるべきだと提言していました 。すると二〇一二年 、 第二 次安倍政権が発足し 、官邸で政治家 として首相補佐官(衛藤晟一、木原稔) が歴史問題を見ることとなり、内閣官房の副長官補室(二〇〇一年 、中央官庁再編以前は外政審議室)が実務を担当することになった 。外務省 出身の兼原信克副長官補が長らく担当していました 。ユネスコの「世界の記憶遺産」に南京事件の資料が登録されたという”失策”はあったのですが 、安倍前総理 が激怒してすぐに外務省の担当者を 更迭し、それにより一層 、歴史問題 での副長官補室のリーダーシップが 強まった 。「世界中に慰安婦像が建ったらどう するんだ」と政府主導で”歴史戦”を 戦えるようになったんです 。こうし て記憶遺産に慰安婦の資料が登録さ れようとしたとき 、徹底抗戦して防ぐことができました 。 もちろん官房長官として内閣官房のトップは菅総理が務めていました。今回の毅然とした対応は 、 まさしく”安倍路線の継承″といえます。

(『WILL』2021年7月号 「従軍慰安婦はこうして抹消された」西岡力 馬場伸幸 対談)




今年4月に「従軍慰安婦」という言葉を否定する閣議決定がなされ、歴史教科書に「従軍慰安婦」という言葉が消えることになった。キッカケをつくった質疑をした馬場伸幸議員とともに凱歌をあげているのがこの対談である。

西岡力について知らない人もいるかも知れないので、説明しておくと第一次安倍政権の際に安倍ブレーン5人組の一人だと報道されていたが、その後つながりは強化されたらしく2018年安倍晋三首相(当時)が強制徴用判決(徴用工)に関して「(徴用されておらず)労働者だ」と妄言したのは、西岡がしむけた事だ。西岡は慰安婦問題や労務動員(徴用工を含む)に対して、まさに「合理性のルールの枠外」にあるような著作を大量に書いている。これが拉致問題とともに安倍晋三との繋がりを濃くしたのだろう。安倍晋三をはじめ自民党議員や維新の議員たちの助言者のようにになっている。また櫻井よしこの「慰安婦」「労務動員」の歴史に関する意見の多くは西岡の主張を模倣している。

インターネットの中では、2002年のW杯のころから、2チャンネルを中心に嫌韓・憎韓と共に小林よしのりやつくる会等の主張に影響を受けた歴史に関する主張が多くみられるようになった。2005年に『マンガ嫌韓流』が流行するとネトウヨblogが乱立するようになり、同時に「慰安婦」「南京大虐殺」などのウィキペディアの項目に彼らサイドの記述が目立つようになった。一方で、田母神論文に賞を与えた事で有名なように元谷外志雄のアパグループ、DHC、フジ住建などの企業が歴史修正主義者に資金を提供するようになった。田母神俊雄は、自衛隊をクビになった代わりに全国で連日のように「あの戦争は聖戦だ」という講演の日々を送っていた。

やがて第二次安倍政権が2012年の終わりころに生まれると、安倍に支配された政府自体が「慰安婦」問題否定や徴用工問題否定に前のめりになっていく。
「慰安婦」問題否定や徴用工問題否定に前のめり】というよりも、韓国への対抗に前のめりになったというべきか。
2015年には「歴史問題」を含む日本宣伝のための予算・500億円が計上され、翌2016年には700億円になっている。

こうした政府の動きにごく近い位置にいるのが西岡力であり、「首相補佐官(衛藤晟一、木原稔) が歴史問題を見ることとなり、内閣官房の副長官補室が実務を担当した」という内実を語っているのだ。そして慰安婦像阻止活動などで「政府主導で”歴史戦”を 戦えるようになった」という。
こうした事は、彼のフェイクな慰安婦論・徴用工論と異なり、事実なのだろう。内閣官房がどのくらいの予算を使って、”歴史戦”をしているかは分からない。イヨンフンやラムザイヤーに産経新聞と自民党及び安倍政権の影を感じるのは私だけではないだろう。
「政府主導で”歴史戦”」なのものの細かい解明は、今日の自民党政権が終わらないとできないだろうが、慰安婦像阻止活動では様々な局面で政府要人や大使館、領事館が関わっているのである。

        公的な歴史見解と政府の行動に影響を与える歴史修正主義

以上、ざっと見てきたように今日では政府が歴史修正主義宣伝に前のめりになっているのだ。

その意味では、欧米の歴史修正主義と日本の歴史修正主義は異なる位置づけと対処が必要である。

なぜなら、欧米の歴史修正主義は何と言っても、マイナーなグループであり、政権をとるにはいたっていないからである。しかし日本の歴史修正主義はついに政権にまで到達しており、政府としての行動にその影響が濃いからだ。対してテレビや新聞はその歴史修正主義を批判するようなものはほとんど存在しない。

こうした状況は極めて危険である。日本国民はかつて、右翼勢力の主張に屈服し戦争になだれ込んで行った経由があるからだ。歴史修正主義が政権をとった事で、もっとも顕著な影響を受けたのは日韓関係である。

言い方を変えれば、日本では、歴史修正主義が既存の主流歴史観、歴史認識のようなものになっており、対して歴史学会などが危機感をもって叫んでいる歴史観、歴史認識は、正しくてもマイナーなのである。それは歴史学会の主流な主張がテレビや全国紙にまったく取り上げられなかった事からも明らかだろう。

2015年5月25日には、日本の16の歴史団体が声明を出し(その後賛同は20団体に増えている)、「日本軍『慰安婦』強制連行の事実が揺るがない」「性奴隷状態だった」と指摘しているが、現状ほとんど知られていない状態である。https://www.restoringhonor1000.info/p/blog-page_1.html

最近、裁判が終わって刑が確定した自民党の参院選広島選挙区の大規模買収事件では、インターネットやSNS対策の業者が「克行先生にネガティブな書き込みがあれば、検索に表示しにくくする、逆にポジティブなことを表示しやすくして、イメージを良くする、そのような業務をしていました」と証言している。https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=691363&comment_sub_id=0&category_id=1167

政府なら、さらにたやすく、そうした操作ができるだろう。あるいは歴史学者が造ったサイト<fight for justice>が検索に引っかかりにくいのは、そういう事かも知れないのだ。

ようするに日本では我々の側が権力を持たない挑戦者なのである。

すると様々な主張をしなくてはならないし、論破もしていかなければならない。また宣伝しなければならない。すでに述べたように、論破されていても彼らは認めないし「合理性のルールの枠外」にいる彼らには通じない。しかしまだ今のところは「合理性のルールの枠内」にいる人たちが歴史修正主義に感染するのを防ぐ必要があるからだ。

 


2020年3月19日木曜日

我が国における征韓と世界侵略妄想の世界


            国学者の「天皇地球総帝説」

19世紀、国学者たちは、日本の天皇が世界の皇帝になるという妄想を発展させた。これを「天皇地球総帝説」という。
この「総帝説」の中では天皇が世界の支配者であると同時に日本人に他の全ての民族がひれ伏すことになっていた。やがてこれが、太平洋戦争期の「天孫民族」という妄想に至る。

『吉田松陰全集』第一巻 p350-p351「幽囚録」「朝鮮を責めて、質を納れ、貢を奉ずること古の盛時のごとくならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾、呂宋(フィリピン)諸島を収め、進取の勢を示すべき」「国力を養ひて取り易き朝鮮、支那、満州を斬り従えん」
(<近代デジタル・ライブラリー>http:/kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1048646

明治政府を造ったのは、国学者吉田松陰の弟子たちであり、松陰は韓国を征服し支配することを弟子たちに教えた。弟子の中でもっとも忠実な征韓論者は木戸孝允である。彼らはやはり征韓論の信奉者であった佐田 白茅や森山茂を釜山に派遣した。使者からしてコレでは最初から領土的野心が見え見えである。佐田 や森山はしばしば悶着を起こした。
佐田 や森山の征韓論を受け、1870年 外務省が太政官あてに『対朝鮮政策3か条』を提出した。
第ニ策「天皇の使いとして木戸孝允を派遣し、王政復古政策の国書受理拒否を責め、通商条約締結をもちかけ、これを朝鮮側が拒否するなら武力発動に及ぶ
第三策「朝鮮懐撫のため、宗主国である清国と「比肩同等」の条約終結を先行させ、ついに朝鮮を「一等を下し候礼典」で扱い、「遠く和して近く攻る」の方策
であるという。こうしていずれは征服するという前提の国交がなされたのである。
やがて台湾や朝鮮、樺太を得た大日本帝国の欲望はさらに燃え上がり、アジア各国に侵略する時代がきた。かつて佐藤信渕が述べたように、まず中国からだ。長州閥の因子を受け取った陸軍が満州事変を謀略し、やがて中国全土を蹂躙する。そして太平洋戦争。あらゆるアジアの国々にその魔手を伸ばした。
敗戦後、天皇がその人間宣言の中で、「日本国民が他の民族よりも優秀だから、世界を支配する運命だというのは嘘だ。」(日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命 ヲ有ストノ架空ナル観念」)と宣べているのはこうした過程があったからだ。




             日本の右派が思い描く「征韓論」


『歴史通』2015-9増刊、岡田秀弘「日清戦争の核心は朝鮮という厄災」


右派雑誌で妄想的な歴史論を書いている岡田秀弘は、「こうした李朝のかたくなな態度が征韓論につながった」と時系列を変えて書いている。吉田松陰の弟子たちに韓国をはじめとする諸国の征服を命じたのは、明治維新の前の話であり、佐田 白茅が建白書を書いたのは明治初年であり、「朝鮮は応神天皇以来、(朝貢の)義務の存する国柄であるから、維新の勢力に乗じ、速やかに手を入れるがよろしい」と書いている。

この「(朝貢の)義務がある」は国学者が唱えていたものである。
そして秦郁彦が『陰謀史観』に書いたところによると、征韓論は明治維新の登場人物の多くが信奉する思想だったようだ。

岡田の記述は時系列を変える事で、被害と加害の関係を変えようというケチな試みであろう。

2020年3月13日金曜日

逃走と労務調整令



労務調整令で検挙したり、送局したりしているのだが、労務調整令が刑事罰を与えることのできる法律だとは知らなかった。
とにかくこうして強制できたわけだ。



逃走と労務調整令









44年




在日朝鮮人関係資料集成第5巻』より

2020年3月5日木曜日

『文芸春秋』考 -またあの道を辿るのか?



戦前の菊池 寛は翼賛運動の一翼を担ったために、戦後公職追放になったにもかかわらず、反省の弁がなかった。それどころか「我々は誰にしても戦争に反対だ。然し、いざ戦争になってしまえば協力して勝利を願うのは、当然の国民の感情だろう」などと正当化したのだ。
しかし、菊池の『文芸春秋』は日中戦争が始まると、月刊誌なのに増刊号を毎月出して中国との戦争を煽ったのである。
戦争に反対」どころではない。煽りまくって奈落に突き落としたくせに。
太平洋戦争がはじめる半年以上も前に、『文芸春秋』(昭和16年2月号(第19巻第20号)は座談会を組み「米国の攻勢と日本の決意」とやらを煽り、さらに編集後記では
「今や真に重大時局に直面している。・・・戦うべき時至れば、大いに戦うべし、我に万全な準備ありの自信に、事態の現実を深く掘り下げる必要がある。・・・日本戦うべし」
と対米戦争に向かう流れを造っている。菊池自身も「話の屑籠」という随筆(1941年12月号)で「英米の脅喝が、何うあらうとも、一旦 火ぶたが切られたならば、わが海軍の精鋭は、太平洋はもちろんのこと印度洋南洋にわたって、驚天動地の活躍を演ずるであろうことを、我々は信じている」と述べている。
そこで高崎隆治は(文芸春秋が)戦争へジャーナリズム全体を牽引した」と書き
天皇は開戦を何度もためらっていたというのが、もし事実だとすれば、『文芸春秋』はその天皇をそそのかし、その足をひっぱったということになる。
と書いている。(『一億特攻を煽った雑誌たち』p36)
戦争を煽りまくって、何の得があるのか?
もちろん得はあるのだ。
戦争をあおることで当時の”愛国者”のハートを鷲掴みにして売上を伸ばした良心の無い雑誌。
それが『文藝春秋』だからだ。・・・・すなわち、金もうけ主義のサイコパス文芸誌である。

戦後は一時的にまともな時期もあった。だが時代がウヨクへと急降下するとやはり同じ道を歩き始める。
『文藝春秋』が訳者不詳の『反日種族主義』を出版し、(日韓相克 : 終わりなき"歴史戦"の正体)というテーマで編集したのは2019年11月号である。ついに産経化し、かつての対米戦争の代わりに、「韓国との歴史戦」とやらを煽り始めたというわけだ。
塩野七生のデタラメ慰安婦記事を指摘されても、まったく答えることも無く、そのまま『「従軍慰安婦」朝日新聞VS文芸春秋』に掲載している。一NGOが、問題を指摘しても大出版社としては無視すればよいと考えているのだろうか?

「反日種族主義」などというデタラメ本を出し、宣伝し、ウヨクさんたちがやっている歴史戦を煽ることが、何を意味するか分からないのだろうか?

徹底討論 対決か協調か : 元徴用工たちに"誰が"賠償金を払うべきか (日韓相克 : 終わりなき"歴史戦"の正体)
橋下 徹,舛添 要一

「反日種族主義」と私は闘う : 慰安婦問題を放置すれば大韓民国は崩壊する (日韓相克 : 終わりなき"歴史戦"の正体)
李 栄薫,黒田 勝弘

文在寅「特別補佐官」が大反論 安倍首相よ、なぜ韓国が敵対国なのか (日韓相克 : 終わりなき"歴史戦"の正体)
文 正仁,朴 承珉
掲載誌 文芸春秋 97(11) 2019-11 p.115-121

多分、一時的に『反日種族主義』は売れ、雑誌は売れるだろうよ。かつてそうであったように。悪魔に魂を売った引き換えに・・・だ。





2020年3月2日月曜日

『反日種族主義』批判 ファクトチェック 「女子挺身勤労令」は朝鮮では施行されていない?



ファクトチェック 

「1944年8月、日本は「女子挺身勤労令」を発布し、12歳から40歳の未婚女
性を軍需工場に動員しました。ただし、この法律は朝鮮では施行されませ
んでした」(p266)
とイ・ヨンフンは書いている。
   (『反日種族主義』p265,266)





以前イ・ヨンフンは「・・・日帝は、44年8月に「女子挺身勤労令」を発動して、12歳から40歳の未婚女性を産業現場に強制動員する。だが、この法令は日本人を対象としており、植民地朝鮮では公式に発動されなかった」(「国史教科書に描かれた日帝の収奪の様相とその神話」小森陽一編『東アジア歴史認識のメタヒストリー「韓日、連帯21」の試み』p97)と書いていたが、少し表現を変えたようだ。

この『反日種族主義』では「施行されませんでした」にしている。

しかし金富子(東京外国語大学総合国際学研究院(国際社会部門・国際研究系)教授)は、「女子挺身勤労令は1944年、8月22日に、勅令519号として日本と朝鮮で同時に公布、施行されました」と書いている。
(『朝鮮人「慰安婦」と植民地支配責任』P19)


さて、どちらが正しいのか?

勅令519号を確認したところ、どこにも内地限定にする文言がないばかりでなく、第二十一條でこう書かれている。

第二十一條 本令中厚生大臣トアルハ朝鮮ニ在リテハ朝鮮總督、臺灣ニ在リテハ臺灣總督ト
シ地方長官トアルハ朝鮮ニ在リテハ道知事、臺灣ニ在リテハ州知事又ハ廳長トシ市町村長ト
アルハ朝鮮ニ在リテハ府尹(京城府ニ在リテハ區長)又ハ邑面長、臺灣ニ在リテハ市長又ハ郡
守(澎湖廳ニ在リテハ廳長)トシ國民勤勞動員署長トアルハ朝鮮ニ在リテハ府尹、郡守又ハ島司
、臺灣ニ在リテハ市長又ハ郡守(澎湖廳ニ在リテハ廳長)トシ都道府縣トアルハ朝鮮ニ在リテハ
道、臺灣ニ在リテハ州又ハ廳トス


(第21条 本令中厚生大臣とあるは、朝鮮に在りては朝鮮総督、台湾に在りては台湾総督と
し、地方長官とあるは、朝鮮に在りては道知事、台湾に在りては州知事又は庁長とし、市町
村長とあるは、朝鮮に在りては府尹(京城府に在りては区長)又は邑面長、台湾に在りては
市長又は郡守(澎湖庁に在りては庁長)とし、国民勤労動員署長とあるは、朝鮮に在りては
府尹、郡守又は島司、台湾に在りては市長又は郡守(澎湖庁に在りては庁長)とし、都道府
県とあるは、朝鮮に在りては道、台湾に在りては州又は庁とす。)
附則
本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス







なるほど朝鮮半島や台湾にも公布・施行している。

結局、イ・ヨンフンは自分で資料を読んでおらず秦郁彦の書いたものを鵜呑みにしているのであろう。


こうした鵜呑みはイ・ヨンフンだけではなく、イ・ウヨンやチュ・イクジョンの論じる内容にも見られる。ほとんどが日本の右派・・・要するに産経新聞や「正論」誌、WILLなどに書かれている論文、特に西岡力や秦郁彦の受け売り・鵜呑みか、多少変形しただけの内容が多い。



「私の立場は、これまでの歴史研究における方法論を批判、反省するという意味合いを強く持っている。」とイ・ヨンフンは述べているが
https://www.j-cast.com/2019/11/21373279.html

元史料を確認せず、ファクトを日本の右派に追従するという方法論が「批判、反省するという意味合い」らしい。

2020年2月26日水曜日

『反日種族主義』批判ー「反日」という言葉の調査



「反日」という言葉は、1990年ころから多く使われるようになった

   1、「反日」という言葉の使用状況

国会図書館と公共図書館においてある題名に「反日」と書いてある著作物(雑誌は入っていない)で、おおよそ「1980 ‐1989 」が21冊、「1990 ー1999 」が27冊、「2000ー 2009 反日」98冊、「2010ー 2019 反日」が210冊となっており、ここ数年間で急激に増加している。

『反日国家・日本 : 国辱一掃のホ−ムラン―重大裁判の進行』 名越二荒之助 山手書房 1984 が草分け的存在    名越二荒之助は後でもう一度登場雑誌に掲載された論文では『韓国の民族主義と反日』田中 明 「海外事情 1982-04等   

新聞雑誌記事横断検索)産経新聞「反日」ワード使用調査表



韓国+反日
反日
自虐史観
黒田勝弘
黒田勝弘+反日
反日日本人


  







1993
179
29
63
3
363
12
0

1994
158
30
71
4
379
10
0

1995
120
58
103
11
400
23
0

1996
345
99
228
46
352
30
4

1997
432
85
196
49
328
29
0

1998
226
66
166
41
296
25
1



 ---------- 
2015
1309
383
606
35
155
62
0

2016
967
193
293
33
144
35
0

2017
1458
368
475
32
148
31
0

2018
818
207
300
15
159
29
5

2019
669
444
537
25
141
68
0





























*1月1日~12月31日
*誤差あり
*全て「タイトル+記事内」
 *産経新聞社が出している月刊誌『正論』はおおよそ210記事が題名に「反日」をつけている。
*その他、月刊誌『諸君』『WILL』『サンサーラ』『サピオ』『hanada』『文芸春秋』等で
「反日」は大量に使われている。
*慰安婦像と「反日」を結びつけたのは、ごく最近の話で、雑誌に掲げられる論文で題名の中
に「反日」と「慰安婦像」が並ぶのは2012.8.22・29号のサピオから始まる。

産経新聞は「反日」という言葉をもっとも頻繁に使う全国紙だが、1993年から「反日」の使用
件数が徐々に増えている。図書も同様であり、1980年~1989年の21冊から、2010年~2019年
の210冊まで、「反日」という言葉の題名での使用頻度が急激に増加している。
こうして日本は「反日」という言葉に覆われて行ったのである。

            2、右派論壇「反日」使用例
a)「反日」マスター西岡力

『正論』2019-10「病根は文在寅」「反日の本質を暴く」


『正論』2019-10「病根は文在寅」 「反日の本質を暴く」より

題名から「反日」が使われ、わずか8ページの論文に様々な言葉と結びついた「反日」が40ケ以上もある。
「反日デモ」「反日のトーン」「親北反日路線」「反日の本質」「反日運動」「アンチ反日」
「反共反日」「功利的反日」「反日スローガン」「反日歴史糾弾外交」「反日パフォーマン
ス」・・・など様々な形容をした「反日」が登場。
『正論』誌は「反日」という言葉の宝庫だが、その中でももっとも多様に「反日」を使うので、
西岡には「反日マスター」の称号を与えよう。
ちなみに「反日日本人」という言葉を造ったのも西岡であり、『よくわかる慰安婦問題』で自慢げ
に書いている。イタイ話だが。


青年会議所で、西岡の造語「反日日本人」への攻撃を語る杉田水脈







「反日日本人」とレッテルつけた相手への容赦ない罵声が続く。

しかし福島瑞穂が何を捏造したというのか、具体的な事はまるで分からない。




b) 「反日」クイーン 呉善花
「反日」の使用量ではこの人も負けていない。


(『なぜ反日韓国に未来はないのか』2013 呉善花 目次 )

見ていただければ分かる通りもう「反日」だらけ。猫の毛のように「反日」が生えている。「反日クイーン」の称号を与えよう。
昔「神社は気味が悪い」と述べて渡部昇一を呆れさせたことがあった。そんなこっちゃ日本の事は書けんぞ、と言われて調べ『攘夷の韓国 開国の日本』を書いたという。渡部昇一『中国・韓国人に教えてあげたい本当の歴史』より)
過剰に「反日」を攻撃するのは、右派に影響を受けた元外国人の特徴である。転向者は、元の集団を過剰に攻撃するものだからだ。自分で「日本信徒になった」と宣うコレまたイタイ人である。(『私はいかにして「日本信徒」となったか』)


そしてこの呉善花は「反日民族主義」という言葉の(おそらく)発明者
である。『正論』2002-2の呉善花「日韓関係を歪めた「きれいごと主義」」が初出、同年1月6日の産
経新聞にはこの呉善花論文を紹介する記事が載り、これが産経新聞における「反日民族主義」という言葉の
初出である。以来産経では約20記事で「反日民族主義」という言葉を使っている)

*「反日民族主義」という言葉で注目すべきなのは、2017年11月17日の産経ニュースで久保田るり子が

「・・韓国 文政権の反日民族主義が見えてきた」と書いている事だ。
久保田は『反日種族主義』の序文に登場している。
イ・ウヨンは「反日民族主義に反対する会」の代表であり、イ・ヨンフンの説明では「韓国の民族主義は、種族主義の特質を強く帯びます」(『反日種族主義』p212)という。

「反日種族主義」という言葉は、「反日民族主義」の一変形であり、シャーマニズムを散りばめただけの代物である。

しかし「反日民族主義」の発明者呉善花は、「(韓国の)反日民族主義の根は・・・中華主義的、儒教的な思想なわけです」井沢元彦, 呉善花 著『やっかいな隣人韓国の正体 : なぜ「反日」なのに、日本に憧れるのか』p285 )「シャーマニズム信仰は日本のそれに近い」(同p189)
と述べている。韓国の文化の根源をシャーマニズムをおいているイ・ヨンフンとは大きく違うし、呉善花理論では日本も「反日種族主義」になりそうだが、彼らが論争して決着をつけることはなさそうだ。

呉善花は、1997年のシンポジウムで「小さいころから、従軍慰安婦という言葉を聞いたことない。日本軍が強制的に送ったと聞いたことがない。それがなぜ最近になって言われはじめるのか、それを考えなければいけない」と述べている(『私はいかにして「日本信徒」になったか』p168-169)。

これは
反日種族主義」動画【朱益鐘 チュ・イクジョン 解放後の40余年間、日本軍慰安婦問題はなかった】
というチュ・イクジョン の発想の源だろう。


C)反日マエストロ 黒田勝弘

産経新聞では、1993年ころからすでに「韓国は反日」型記事を書いている。黒田は「韓国は反日」式ネトウヨ妄想を作り出した張本人の一人。後でその黒田の著作を使って「反日」という言葉の意味を追求してみようと思う。

著作は
『韓国・反日症候群』 黒田勝弘 著 亜紀書房 1995
『韓国反日感情の正体』  黒田勝弘 [著] 角川学芸出版 2013

言わずと知れた産経新聞の韓国専門の記者だが、『反日種族主義』関連では、他誌に登場して、宣伝に一役買っている。おそらく産経新聞の方針として、『反日種族主義』を宣伝しているのだろう。

A『「反日種族主義」と私は闘う : 慰安婦問題を放置すれば大韓民国は崩壊する (日韓相克 : 終わりなき"歴史戦"の正体)』李 栄薫,黒田 勝弘
掲載誌 文芸春秋 97(11) 2019-11 p.108-114

B『側近・曺国(チョグク)追放で保守陣営に勢い 文在寅 「反日」で悪あがきするも限界へ : 慰安婦や徴用工で日本の立場を支持した本が韓国でベストセラーになって』
黒田 勝弘 掲載誌 Themis / テーミス [編] 28(11) (通号 325) 2019-11 p.50-51

C『日韓断絶の元凶 ついに韓国の歴史家が決起した! 「反日種族主義」を追放せよ』
金容三 鄭安基 朱益鍾 黒田 勝弘
掲載誌 文芸春秋 97(12) 2019-12 p.94-105


      4、「反日」の意味 「反日」の使われ方

今日のようにレッテル張りと攻撃のための「反日」という言葉の使い方はどのように始まったか?

「反日」という言葉は今日の日本ではしばしばレッテルを貼って相手の攻撃を加えるために使われている。

その一つの例が植村隆元朝日新聞記者への攻撃だ。植村氏は、金学順さんの証言を紹介したが、「反日記者」とレッテルをつけられ、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせられた。さらにまだ高校生の娘さんの顔写真を公開され脅迫を受けた。
彼らに見えるのは、”憎しみ”である。

しかし植村が「反日記者」であるという根拠をちゃんと述べたものはいない。





      攻撃され続ける植村隆


(植村について「軍慰安婦問題を初めて報道した」などというデマを振りまいたりしながら、「反日記者」と憎々しげに述べるネトウヨたち)


彼らが根拠に置きそうなのは、『よくわかる慰安婦問題』などで西岡力が繰り返し書いてきた「特ダネをとるために嘘をついただけでなく義理のお母さんの起こした裁判を有利にするため意図的な嘘を書いた」という無根拠な想像ぐらいしかない。西岡はまた【金学順さんは「貧困のために売られた」と言っているのにその経歴を「植村記者が隠した」】というストーリーにしているが、そもそも金学順さんは『訴状』でも、その他証言をそのまま文字おこしした著作物(『強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』『金学順さんの証言』『証言従軍慰安婦女子勤労挺身隊』)の全てで、自分で「売られた」などとは述べてはいない。

西岡のいう「金学順さんは貧困のために売られた」という見解自体が、ある種の解釈ないしは想像に過ぎないのである。ところが、この解釈ないしは想像に過ぎない西岡の意見を植村が書かないからと言って、「捏造」であるわけがない。




      『よく分かる慰安婦問題』2007年


このようにして、相手に「反日」というレッテルを貼って攻撃するという使い方を始めたのは、赤報隊である。


       「反日」を攻撃した「赤報隊」
戦前には黒龍会などによる朝日新聞へのテロによって朝日が折れた経由がある。戦後も朝日へのテロは盛んに行われており、77年の「防共挺身隊」による襲撃などがなされた。最悪なのは1987年ころ引き起こされた一連のテロ事件であり、5月3日、銃撃により阪神支局の小尻記者が殺害され、他1名が重症を負った。6日後、時事通信に2通の犯行声明が送られ、犯人は「赤報隊」「日本民族独立義勇軍」と名乗った。9月24日には「赤報隊」を名乗る1名が名古屋本社の独身寮に侵入し発砲した。88年3月12日には静岡支局に爆弾が仕掛けられているのが発見された。これも「赤報隊」の名で犯行声明文が通信社に送られている。こうした一連の事件を「赤報隊事件」というが、この犯行声明には19か所で「反日」という言葉が使われている。

右翼団体一水会の元会長・鈴木邦男は「「反日」を蔓延させたのは赤報隊だ。事件前は右翼もほとんど使わない言葉だったという意見を述べている。




        (抜粋)2001-10-4の朝日新聞の記事『言論に落とした影』より



こうして相手を「反日分子」「反日マスコミ」「反日企業」などとレッテルつけながら、暴力、脅迫、罵倒などを行う型が造られてきたのである。「反日」という言葉が、戦前の蓑田胸喜らが美濃田達吉攻撃に使った「非国民」「国賊」「共産主義者」などと同じように攻撃的な使われ方をしているのが分かる。




2016年5月3日には、【赤報隊の意志を継げ!朝日新聞糾弾デモin帝都】なるものがなされ、赤報隊のテロ行為を「義挙」として称えるとともに、「反日朝日に死を」というのぼりがたてられていた。

ネトウヨのこうした主張は、赤報隊と同じ思想から生じている。↓


「反日」はヘイトデモでしばしば使われている言葉である。ヘイトデモ参加者たちによるたいていの演説、シュプレーコールにもよく見られる。2013.06.15には「 反日マスコミ・反日極左・排害デモin渋谷」が行動保守グループによってなされた。



          ネットの中の攻撃=脅迫・殺害予告

2020年今日では少なくなったが、ネットの中では前述の植村の娘に対するのような、「反日」への脅迫はしばしばなされてきた。



恐ろしいことに100人以上がRTしている。
「反日」と彼らがレッテルつけた相手への憎しみと殺意が見とれる。リツイートしている人物は「安倍総理・自民党支持の保守」を名乗り、「日本を反日から取り戻す」という。

同意している人物は「反日のアホ」という。↓










「反日」という言葉によってレッテルつけた相手に対して、憎悪や殺意を抱く人々に言及してきた。そして時には実際のテロ行為や脅迫行為がなされたのである。









李信恵さんへの脅迫である
https://blogos.com/article/93912/



「売国奴」という言葉も「反日」と同様の使い方をされるが登場頻度は少ない






これは昔、有名だったヨーゲン
彼はしばしば「反日」を叫びながら罵倒し、脅迫的な言葉を喚いていた。この後、詐欺事件で逮捕され、本名が知られるようになり、以後ネトウヨからも支持されなくなっていく。しかしこうした「殺してやる」というあからさまな脅迫さえ、7人がリツイートするという2013年当時の怖い風潮であった。


         「反日」という言葉の意味

「反日」という言葉の辞書的定義は「日本や日本人に対する反感」である。https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%8F%8D%E6%97%A5/


しかしこの辞書的定義にはあまり意味がない。「反感」なんてありふれているからだ。例えば、どんなに孝行息子であっても、親に反感をもつことはあるだろうし、同様に、どんなに国思いの人・日本が好きな人でも国の政策に反感を持つことはあるだろう。日本人に対する反感はどうだろうか?「総体としての日本人への反感」を示した人間など聞いたこともないのだが、できればそういう人の存在をきちんと示して欲しい。
韓国人に関して言えば、安倍政権の政策や安倍の言動への反発反感を持つ人は多いだろうが、「日本人全てを抹殺したい」とか過激な事はいうまでもなく聞いたこともないし、「日本人全体に反感」を持つ人がもし存在したとしても極めて少数だろう。
日本政府の政策や日本人の民族性の負の側面への言及はもちろん「反日」などではない。そんなことを言い始めれば、いかなる政策批判も難しくなり、民族性を語ることさえ難しいものになってしまう。


例えば、『日本とは何か 日本人とは何か』(大宅映子)の中で、右派の論客(「新しい歴史教科書をつくる会」に参加)西部邁は、「旅行者も首相もだらしない国」と容赦なく日本人のマナーの悪さを非難しているが、これは「反日」だろうか?


ある人は「反日」と呼び、ある人は「反日」とは言わないだろう。「日本や日本人に対する反感」という定義では大雑把すぎて、何を「反感」とするか・・・という基準が存在しない。したがって「反日」かどうか?は全てこの言葉を使う人物たちの主観でしかない。


1980年代まで、マスメディアが使う「反日」という言葉は、例えば「東アジア反日武装戦線」という固有名詞であったり、商店のガラスを割ったりしたアジア各国のデモを「反日デモ」と呼んでいた程度であった。しかし「赤報隊」を経て、90年代になると様相が変化していく。戦後補償問題がはじまり、歴史の関する言及が多くなると産経をはじめ右派論壇は歴史論説や言動に対して「反日感情」と結びつけて論じるようになる。


やがて、<新しい歴史教科書をつくる会>が造られ、<教科書議連>がつくられ、<日本会議>が造られた1997年ころから、右派論壇に歴史修正主義(歴史改竄主義)が台頭すると彼らが認める大日本帝国の栄光の歴史以外は「日本を貶める」とし、「反日」と呼ぶようになった。
こうして「反日」という言葉の意味が拡張され、約75年前に滅んだはずの大日本帝国の悪事を述べること自体が「反日」になったのである。


       名越二荒之助から、武藤正敏まで 「街に反日はいない」

1995年、自民党「歴史検討員会」がまとめた『大東亜戦争の総括』の中で、名越二荒之助は「韓国に反日運動が盛り上がり」「独立記念館ですね・・・反日で満たされている」「日本の警察官が韓国人を捉えて拷問している蝋人形です」・・などと述べながら、「・・建前として反日国家となりました。一人一人に会ってみれば決して反日ではないのですが」と述べている。『大東亜戦争の総括』 p163-p164)

こうした事は、黒田勝弘も書いていて、こういう。
「それでも1970年代から80年代の初めころまでは、街で日本語をしゃべっていて通りがかりの韓国人から険しい眼差しで見られたり、食堂ではついたての向こう側から割りばしが飛んできたりすることがあった。酔っ払いから「ここは韓国だから韓国語をしゃべれ」などとからまれる日本人も多かった。
・・・・(略)・・・・
しかし今や街に反日はない。無いどころか、若者街などではカタカナや平がなの看板がカッコいいと堂々と目の付くところに出ている。日本語を喋っていても誰も振り向いてくれない。日常生活で日本拒否などまったく見当たらないのだ。」(『韓国反日感情の正体』p10)

その黒田勝弘と対談した武藤正敏(元駐対韓民国特命全権大使)も「韓国の国民レベルでは反日感情はほとんどありません」と述べている。(『正論』2015-7 p125)

1990年ころから韓国では「反日感情」は減少し、今やほとんど無くなっている様子が分かる。

これはきちんと理解しておかねばならないことだ。
ちなみに私は、今日まで3度、韓国旅行をしたが、「反日感情」などを感じたことは一度もない。

ところが、名越も黒田、武藤も、「韓国は反日」と繰り返している。
反日感情は無いのに?
相当、意味不明だが。
では何を彼らは「反日」と呼ぶのか?

それは「日本の警察の朝鮮人への拷問」の展示(『大東亜戦争の総括』 p163)であったり、「元慰安婦と支援団体よる日本糾弾」(『韓国反日感情の正体』p60)であったり、「竹島問題」(同前p62)であったり、「2011年8月に出された慰安婦問題をめぐる韓国憲法裁判所の判決」(『正論』2015-7 p115)やら「ソウルの日本大使館前の慰安婦像」(『正論』2015-7 p115)であり、武藤はこれを「行き過ぎた反日」だと述べている。

これは、どういう事かというと要するに「歴史問題」を「反日」と述べているだけなのだ。

バカじゃなかろうか?

そりゃあ、産経や『正論』などに書かれている、何ら証明されてもいない妄想のような歴史を信じ込んでいる人にとっては「反日」なのだろうというしかない。
例えば、「南京大虐殺なんて無かった」と信じ込んでいる人が、南京虐殺紀念館に行けば、「こんな嘘ばっかり述べやがって」と反発し、「捏造だ」「反日だ」とわめきたてるかも知れない。
しかし、人数や写真の妥当性はともかく「南京大虐殺は有った」と思っている人間が紀念館に行っても、何のストレスもない。
「慰安婦」問題で、「慰安婦はただの売春婦なのに」「高額の報酬があったのに」と思い込んでいる人がいるとすれば、慰安婦の被害などを聞くと、反発し、「捏造だ」「反日だ」とわめきたてるというだけの話である。
独立記念館で【日本の警察の朝鮮人への拷問の展示】を見た時、「これは嘘だ、日本人
は拷問なんてしない」なんて思う人にとってはそれは「反日」なのだろう。しかし、大
日本帝国時代の警察の拷問を理解している人間にとってそれは「反日」による捏造などでは
ないのだ。

*『やっかいな隣人 韓国の正体』の「反日なのに日本に憧れる」章p84~87で、独立記念館の【日本の警察の朝鮮人への拷問の展示】
について、井沢元彦と呉善花は口々に「日本には拷問などない」として否定している。

今日使われている「反日」という言葉はそういう言葉であって、国家主義者、あるいは国粋主義者によって、都合よく改竄された妄想のような歴史を信じている人達が「不当に貶められている」と見なす対象に対して、攻撃的に使用している言葉なのである。いわば歴史改竄主義者用語と言えるだろう。
そしてその全てが、靖国へと収斂している。

                        (次回に続く)