- 【阿比留瑠比の極言御免】慰安婦問題、誤解拡散の典型例 - 産経http://www.sankei.com/premium/news/141030/prm1410300005-n1.html … 「米軍が昭和19年、ビルマ(現ミャンマー)で捕らえた朝鮮人慰安婦20人に行った尋問記録を読むと、10代女性は1人(19歳)しかいない」2件のリツイート2 いいね
- こんな支離滅裂な文章でも編集委員になれるとは、産経は楽な会社だね。 http://www.sankei.com/premium/news/141030/prm1410300005-n1.html … 麻生徹男の進言は、年配で遊郭からの鞍替えが多くいた日本人慰安婦を少なくして、年若い朝鮮人慰安婦を増やす事だったが、その成果を自慢する文章も存在している。2件のリツイート0 いいね
- 麻生徹男『上海より上海へ』 「「私はのちほど軍医会同にて1文を物して、この娼婦の質の向上を要求した。即ち内地をくいつめたような者を戦地へくらがえさせられては、将兵は、はなはだもって迷惑であると。」1件のリツイート0 いいね
- 麻生徹男『上海より上海へ』p42 「中支方面に従軍せられた方で気付かれたことと思うが、南京、漢口等の将校クラブに朝鮮婦人の多かったことも、この辺の事情に起因していると思うは、あえて私の僻目でもなかろう」 僻目ではなく、自分の「一文」が「朝鮮婦人の多かった」因だと述べている。1件のリツイート0 いいね
- 娘は、これをウニャウニャにしたいらしいが、麻生徹男の一文が「朝鮮人慰安婦が多くなった」一因であったことは、本人自身も推測しているのである。ちなみに千田夏光は、当時第11軍の兵站部に在職した元経理将校を探しだし、裏付け調査している。1件のリツイート1 いいね
- 千田『従軍慰安婦』 「まず軍幹部というか作戦面しか知らない中堅幹部は、最初この意見書に大した興味を持たなかったようです。しかし兵站担当のわれわれは一読して、よく書いてくれた、調べてくれたと思ったものです。柳川軍司令官も大変に注目されたと聞いていました。 (つづく)4件のリツイート2 いいね
正直に言って当時、彼女らに対し公衆便所という考えが強かったのですが、兵站部がなくてはならないように、中国戦線でそれがなくてはならぬものであること、より優れたものでならぬことを考えていた高級幹部は、この意見書に大いに賛意を強くしたようです。」と元第11軍の兵站部経理将校は証言した。
- 1939年に提出した麻生徹男の意見書「花柳病の積極的予防」に対して、軍の兵站部も柳川軍司令官も注目し、「高級幹部は、この意見書に大いに賛意」を示したということだ。 明らかに麻生徹男の影響力が見てとれる。2件のリツイート0 いいね
- 【結論】 産経新聞の阿比留瑠比記者は、おそらく麻生徹男の『上海より上海へ』や千田夏光の『従軍慰安婦』などの著作・資料をまったく自分で確認しておらず、多くをまた書き、受け売りしているようだ。 http://www.sankei.com/premium/news/141030/prm1410300005-n1.html … … その程度だな。
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