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ご無沙汰しました。民事敗訴から二ヶ月弱。少し休息を取りました。
しかし、もう次の裁判準備を始めないといけない時期になり、明日は「帝国の慰安婦』事態をめぐるある会合も開かれることになっています。そこで、批判者たちに向けての思いをメモしてみました。早く、静かにこうしたことを書ける時間が訪れることを願っています。
しかし、もう次の裁判準備を始めないといけない時期になり、明日は「帝国の慰安婦』事態をめぐるある会合も開かれることになっています。そこで、批判者たちに向けての思いをメモしてみました。早く、静かにこうしたことを書ける時間が訪れることを願っています。
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2016・3・28研究集会に向けて
朴裕河(2016・3・27)
朴裕河(2016・3・27)
1、 忘却あるいは無視・看過されていること
1)「被害者」の一元化-元慰安婦の要求は 一様ではない。「法的賠償」の意味はもちろんのこと、そうした主張があることさえ知らない人たちがいる。-「被害者」という言葉の占有。知識人・運動家(代弁者)の越権。そ のことをまず認識すべき。
2)朴に対する告訴は代弁者、あるいは代弁者(支援団体)が定着させた既存認識に基づいての読解であり、基礎的な間違いさえ存在する誤読によるもの。(박유하「젊은 역사학자들의 『제국의 위안부』비판에 답한다」 『역사문제연구34호』 (朴裕河「若い歴史研究者たちの『帝国の慰安婦』批判に答える」 『歴史問題研究』34号、2015/10 )
3)慰安婦問題は民族・階級・性差別による存在であることは周知のこと。民族問題は「日本」の責任を追求することで問われてきた。朴の本は、それに加えて階級・性の問題を問うたもの。いわば「帝国」の影に隠れていて可視化しなかった部分を見ようとした。こうした問いへの反発(日本免罪への恐怖) は 、男性・階級の責任を問うことを封じるもの。責任回避の言説。責任対象を「日本」という固有名に限定する限り、日韓問わずの「男性」と、労働者の連帯を訴えて「帝国」に抵抗したはずの(中産)「階級」は安全となる構図。
4)責任を問うことにおいて何かを優先すべきという考え方は(ジェンダーより民族問題が大切で重要、など)、別の被害者を抑圧する点で すでに「民主的」でない。しかも少数の声排除。朴の問いを「例外の一般化」として退けるのはそうした思考が作るもの 。
5)そうした意味で、女性問題として連携していながら「日本」の責任だけを問うてきたこれまでの(フェミニズム)議論の限界を指摘した試み。家父長制や階級問題を問い、売春差別問題を問い、そうした認識を共有することができてはじめて慰安婦問題をめぐる長い闘いの意味があると朴は考えた。今のように「日本」という固有名の責任を問うだけでこと終われりとすることこそが、鄭栄桓や徐京植が日本の知識人に見ようとする「知的退廃」(鄭栄桓)や「反動」(徐京植「초심은 어디 가고 왜 반동의 물결에 발을 담그십니까」、「なぜ初心を忘れて反動の流れに足を踏み入れるのですか」2016・3・12付『ハンギョレ新聞』)。
6)「おばあさん(当事者)の痛みを知らない朴」といった構図を作って、大衆の非難や脅迫や訴訟までも呼び寄せておいて安住 。この闘いはしょせん代弁者同士の、思考や態度の対立であるという認識をまず共有してもらいたい。
7)訴訟は本自体から触発したのではなく(挺身隊問題対策協議会も韓国語発刊直後に朴への訴えを検討していたが成り立たないとの助言を受けて断念)、ナヌムの家の元慰安婦たちと親しくなったことを警戒したこと、そして2014年4月のシンポジウム「慰安婦問題、第三の声」においてこれまで声を出せなかったもと慰安婦の声を伝えたところ 、日韓のメディアが注目してくれたことが直接の契機。最初の告訴状には以下のようなことが書かれていた。
<朴裕河は以前『和解のために』を書いた。そしてまたもや『帝国の慰安婦』を書いた。そしてシンポジウムまで開いた。このままだとまたもや本を書くだろう。そうしたことは慰安婦問題解決のためにならない>
告訴した人たちの意図は明らかに「運動の邪魔になる」言葉を抑圧することであり、それのみならず、 代弁者たちとは異なる考えを持つ元慰安婦ー当事者たちの言葉をも抑圧することだった。そのことから認識されるべき。その元慰安婦の一人が 亡くなった直後に告訴が行われたことが最大の証拠。
8)訴訟は 、ナヌムの家の所長や顧問弁護士の欲望と東アジアの政治的対立が、長年の日本のリベラル知識人の知的対立と合作する形で成り立った。後者は、前者を容認するのかを考えるべき。こうした構図は、「日本」の責任を問うことで男性や階級の責任を問うことを禁じる構図と同じことであり、それ以上の世俗的な 問題を含んでいる。それについては今後あきらかにしていく予定。
9)この問題は最初は「強制連行」とみんなが信じることから始まった。そこにおける国家賠償要求は妥当。しかし、その後研究は変っても運動は変らなかった。そして、今度は研究が「国家賠償」「法的責任」を求める運動の論理を支えるものに変容。そのために「強制性」の強調をしているかのように見える、転倒した、アクロバットな状況。慰安婦問題をめぐる学問は運動に飲み込まれているか敗北した状況。これには近代国民国家を支えてきた「法至上主義」的考え方が働いており、そうしたシステムを相対化してきたはずの研究者たちがこの構図を支えている。
10)現在の東アジアの不安定な状況をもたらした責任、両国を反日・嫌韓に導いた責任は誰にあるのか。それぞれ自らに問うべき。慰安婦問題をめぐる運動と研究にはそうした自己反省が欠如。現在のままではたとえ安倍首相が謝罪しても両国の国民感情は根本的には変容しない。おきざりにされるまま。
だとしたら慰安婦問題の解決は何のためだったのか? 首相や天皇は象徴的な意味を持つのみ。重要なのは歴史認識の共有。これまでの運動はいわば、それぞれの人口の半分を抑圧するあり方。政治的スタンスが異なっていても「共存」しうる共同体作りは最小限度の前提。そうした模索が欠如した議論。
だとしたら慰安婦問題の解決は何のためだったのか? 首相や天皇は象徴的な意味を持つのみ。重要なのは歴史認識の共有。これまでの運動はいわば、それぞれの人口の半分を抑圧するあり方。政治的スタンスが異なっていても「共存」しうる共同体作りは最小限度の前提。そうした模索が欠如した議論。
2、 鄭栄桓氏の本ほか批判者たちへの具体的な反論の前に
1)2015年8月、それより三ヶ月前に韓国の歴史誌『역사비평』 ( 歴史批評)に掲載された鄭栄桓氏の朴裕河批判に答えての反論を2015年10月に掲載。(朴裕河『慰安婦問題と1965年体制について―鄭栄桓氏の批判に答える』)ここでは具体的な反論より「態度」を問題視した。事実などに関する批判に対する具体的な反論は先の『歴史問題研究』所収の論文や同じく朴裕河「記憶の政治学を超えて」(『東アジア和解と平和の声』創立シンポジウム 歴史への向き合い方)資料集、2015・6.20)ほかを参照。
2)鄭氏のみならず多くの批判者たちにおいて、不正確に要約し、批判するケースが多すぎる。鄭氏は翻訳においても微妙にすりかえる。 しかも批判者たちはナヌムの家の所長の嘘まで含む文書を英語にして拡散している状況。慰安婦問題運動で築けたネットワークを朴批判に使っている現状。不正確・歪曲への欲望を隠さないのは右派も同じで(たとえば『サピオ』における映画『帰鬼』に関する記事など。2016・3) 、いわば敵対的共存状態。本で指摘した、極端な「記憶の闘い」を今でもやっている状態。以下はそうした状況の一端への指摘。 (朴裕河フェイスブックページ2016年2月14日ポスティングへに泥憲和さんが3月9日に寄せたコメント )
<私は韓国語版を読めないので日本語版にもとづいて語るしかないのですが、その限りにおいて、鄭栄桓氏の批判手法は、あらかじめ『帝国の慰安婦』を全否定されるべきものと措定したうえで、その結論に合わせてあれこれの断片をつなぎ合わせており、しかも不正確な引用がされているとの印象を持ちました。 引用の一例をあげれば、鄭栄桓氏「だとしても、愛と平和が可能であったことは事実であり、それは朝鮮人慰安婦と日本軍の関係が基本的には同志的な関係だったからである。」『帝国の慰安婦』日本語版原文「だとしても、愛と想いの存在を否定することはできない。そしてこのようなことがめずらしくなかったのは、朝鮮人慰安婦と日本軍の関係が構造的には<同志的関係>だったからである。そのような外見を裏切る差別を内包しながらも。」「構造的」が「基本的」に、そしてカッコつきの「<同志的関係>」が平文の「同志的関係」に、さらに一センテンスがカットされています。これでは全体の論旨がまるで異なったものになります。そして鄭栄桓氏は歪められた『帝国の慰安婦』を批判しておられる。 朴裕河氏が「同志的関係」を無批判に認めているかのように鄭栄桓氏は非難なさるのですが、朴裕河氏は「同士的関係」をあくまで外形的に強制する構造がそこにあり、慰安婦も生きるためにそのうわべの関係性を受容するほかなかった悲劇を述べておられます。 被支配者が支配者の思想に染まり、追従する関係は珍しいものではありません。慰安婦が意志強固な独立の闘士であったはずもないのだから、おかれた境遇に身を任せるしかない弱い立場の存在として生きるために、「同志的関係」という虚構にすがったであろうことがどうして不思議でしょうか。 私はむしろ朴裕河氏のような視点を持たない慰安婦論は、人間存在というものを捨象した平板な政治的議論にしかならないのではと思っています。>
3)『帝国の慰安婦』とは 「自ら・動員された」というような状況を示そうとした二重の言葉。韓国語版の表紙に着物を着た慰安婦の写真を使いながら半分に切った絵を使ったのはそうした意味を込めたもの。日本人にならないといけない構造と、しかし、「ほんとうの」日本人にはなれなかった構造を表した。批判者たちはそれを『自ら行った慰安婦』とのみ捕らえている。そうした意味でも慰安婦否定派と同じ視点。
こうした状況は植民地時代をどう捉えるかの問題でもあり、長い議論が必要なものだ。しかし、法廷でそうした議論をすべきなのか?あるいはできるのか?にもかからわずそうした論駁が法廷で行われている(現実には論駁さえなく、裁判官たちが読んでいるかさえ確認できない) アイロニ―を批判者たちはどう思っているのか。「法」と名づく国家に問題の判断を任せた点では「国民」「市民」の 敗北。
現に鄭の論証の多くはすでに「名誉毀損」とは関係ないところで論じられている。にもかかわらず 、鄭や法学者、その他の論文が裁判所に提出され、朴の「犯罪」の証拠として使われた。自らの論が使われることに異議申し立てをしなかった以上、起訴と民事敗訴に加担したことになる。
こうした状況は植民地時代をどう捉えるかの問題でもあり、長い議論が必要なものだ。しかし、法廷でそうした議論をすべきなのか?あるいはできるのか?にもかからわずそうした論駁が法廷で行われている(現実には論駁さえなく、裁判官たちが読んでいるかさえ確認できない) アイロニ―を批判者たちはどう思っているのか。「法」と名づく国家に問題の判断を任せた点では「国民」「市民」の 敗北。
現に鄭の論証の多くはすでに「名誉毀損」とは関係ないところで論じられている。にもかかわらず 、鄭や法学者、その他の論文が裁判所に提出され、朴の「犯罪」の証拠として使われた。自らの論が使われることに異議申し立てをしなかった以上、起訴と民事敗訴に加担したことになる。
補足するなら 、「自発的売春婦」とは親のため兄弟のため、売られることを承知した人々でもあった。そうした女性たちの「犠牲」がこれまではまったく気づかれず、省みられかったための否定であり、慰安婦を売春婦という言葉から解放するためにはむしろそうした「概念」の再定義が必要。朴は『帝国の慰安婦』で「売春」の再定義をしたつもり。多くの読者はあるがままに受け入れてくれたが、既存の概念に囚われていた人々は依然「否認」するか「執着」した。それはそれまで世間に訴えてきた言説を守るためであったが、それが高じたのが「否認」派による訴訟行為。
4)日本男性による資料を使ったのは、もと慰安婦の証言を「うそ」とする人々に対して「あなたの先祖もこういうふうに考えていた」と言うために使ったもの。実際に強制かどうかはその軍人には重要ではなく「何千回の性交」をさせられる女性たちの悲惨に思いをはせたのも、慰安婦たちのそばにいた軍人たちだった。「日本」のものを使ってはいけないのなら、すべての資料に対してそういわねばならないだろう。兵士が「同族」と思ったからといって差別がなかったとは書いていない。
5)書き手の意図がどうであれ、あらゆる文書は読み手の解釈によって新たな意味を帯びる。したがって「恣意的」とはあたらない。重要なのはどこまで正確で、説得力があるかだ。「恣意的」とする鄭の指摘は、テキスト研究の常識を知らないゆえの言葉。
6)鄭が引用したように(2016・3・28のための鄭レジュメ3頁)、わたしは「業者のみに問題があるとするのは、問題を矮小化することでしかない」と書いた。にもかかわらず、業者の責任のみを問うたかのようなイメージを批判者たちはばらまいた。鄭はこの文章を引用しながらも朴が「業者主犯説を展開」したという。“日韓合意は『帝国の慰安婦』のせい” とする議論も多かったが、鄭のように読まれていたらそうしたことさえもなかったのではないか。
7)秦郁彦氏が『帝国の慰安婦』に好意的だからといって朴の思考が秦氏の思考と同じものになるわけではない。言うまでもなく安部首相に関しても。論自体の論駁ではなく誰かとの「類似性」を見出すことに集中し、対象をグル―プ化するような「知的怠慢」から抜け出すべき。
8)批判者たちは植民地の慰安婦の「奴隷」性が構造的には日本軍によるものでも、より直接には業者による「強制」労働によることを認めるべきではないか。階級問題に関心が多かったはずのこうした沈黙の意味を問いたい。
9)外出に関しても同様。逃走を禁止していたのは業者だった。外出に許可が必要だったのは戦場だったための、危険防止、スパイ行為防止のため。<性奴隷の逃走>だからではない。 逃げ出した慰安婦を業者が探し出そうとしたのは、慰安婦が彼らの資本だったからだ。
10)賠償・補償を使い分けたのは支援団体。わたしは深い意味を込めずに使った。言葉尻を捕らえる詮索と、存在しない「ひそかな欲望」(レジュメ7)を探し出そうとする努力の不毛さと暴力に気づいてもらいたい。 憲法裁判所の判断は支援団体の資料による判断だった。その後の裁判所と検察の判断も同じ。裁判所や検察の判断は 「法」の判断に朴が異議申し立てをした罰か。そうした処罰に研究者・学者も加担しているのが現状。
11)裁判対応に追われて、恣意的・誤謬といった無根拠な断定に反駁しないでいるうちに、それらはそのまま裁判所に提出され参照・引用された(2016・1・13、民事判決文)。最初の告訴状には徐京植の『和解のために』批判がそのまま引用されていた。2008年頃から韓国で始まった徐京植による朴批判(これを受けてハンギョレの記者は“『和解のために』は右翼の賞賛を受けた’と書いた”)が告訴を支える根拠になったのは明らか。そうした批判を信じたメディアや国民によっていまでも朴は日々全国民的な非難・敵意と脅迫にさらされている。そしてそれ以上に深刻なのは、日本のリベラルへの不信が根付きつつあることだ。
したがって、もはやこうした批判を「当事者のため」と言うべきではない。朴のみならず、そうした抑圧の下に自らの声を出せずに亡くなっていった慰安婦もいた。
したがって、もはやこうした批判を「当事者のため」と言うべきではない。朴のみならず、そうした抑圧の下に自らの声を出せずに亡くなっていった慰安婦もいた。
12)徐京植から始まった「リベラルの自壊」現象と称する認識に関しては、和田春樹の反論を参照してほしい(2016・3・26、ハンギョレ新聞
和田春樹教授、徐京植教授の公開書簡に答える(上)
http://japan.hani.co.kr/arti/international/23709.html)
和田春樹教授、徐京植教授の公開書簡に答える(上)
http://japan.hani.co.kr/arti/international/23709.html)
それにしても、こうしたことを引き起こし、日本のリベラルへの不信を韓国に作り、定着させようとしている「在日」はいったい誰と連帯したいのか?
13)こうしたすべての混乱は、国民・国家といったあいまいな共同体批判と、知識人批判を同じアプローチで試みた結果。それについては改めて書きたい。「なぜここにたどりついてしまったかの再検証」(鄭・8)は、自らの思考の問題と結果責任を問うことから始めるべきだ。
これについて鄭栄桓氏が直接問題点を指摘しているので紹介しよう。
『帝国の慰安婦』すら「忘却」する朴裕河 |
昨3月28日、東京大学駒場キャンパスにて『帝国の慰安婦』の評価をめぐる討論会が開かれ、私も報告者として登壇した(追記参照)。討論会では色々な意味で興味深い発言に接したが、それについては日を改めて記すことにする。
ところでこの討論会の開催に先立ち、朴裕河が自身のfacebookに私の批判への反論を掲載した。これまでに輪をかけて滑稽な「反論」を展開しているので、紹介して簡単にコメントしておきたい。
朴は私が『帝国の慰安婦』を「不正確に要約し、批判するケースが多すぎる」とし、その具体例として泥憲和による以下の指摘を引く(読みやすさを考慮して適宜改行した)。
<私は韓国語版を読めないので日本語版にもとづいて語るしかないのですが、その限りにおいて、鄭栄桓氏の批判手法は、あらかじめ『帝国の慰安婦』を全否定されるべきものと措定したうえで、その結論に合わせてあれこれの断片をつなぎ合わせており、しかも不正確な引用がされているとの印象を持ちました。引用の一例をあげれば、
鄭栄桓氏「だとしても、愛と平和が可能であったことは事実であり、それは朝鮮人慰安婦と日本軍の関係が基本的には同志的な関係だったからである。」『帝国の慰安婦』日本語版原文「だとしても、愛と想いの存在を否定することはできない。そしてこのようなことがめずらしくなかったのは、朝鮮人慰安婦と日本軍の関係が構造的には<同志的関係>だったからである。そのような外見を裏切る差別を内包しながらも。」
「構造的」が「基本的」に、そしてカッコつきの「<同志的関係>」が平文の「同志的関係」に、さらに一センテンスがカットされています。これでは全体の論旨がまるで異なったものになります。そして鄭栄桓氏は歪められた『帝国の慰安婦』を批判しておられる。>
泥憲和はこのように、私が『帝国の慰安婦』の原文を改ざんした、と主張する。だがこれは、泥が私の『帝国の慰安婦』朝鮮語版からの引用を、日本語版からの引用と誤解したがために生じた誤りである。おそらく「朴裕河『帝国の慰安婦』の「方法」について」を読んだものと思われるが、この記事を書いた時点ではまだ日本語版が出版されていなかったため当然ながら朝鮮語版から引用した。泥の手元にある本と記述が違うのは当然である。
つまり、「「構造的」が「基本的」に、そしてカッコつきの「<同志的関係>」が平文の「同志的関係」に、さらに一センテンスがカットされ」たのは、ほかならぬ朴裕河自身が日本語版の出版に際してそのように書き換えたからである。「全体の論旨がまるで異なった」ものになったと泥が感じるのならば、その批判は朴自身に向けるべきであろう。
だが驚くべきことに、朴裕河は私が『帝国の慰安婦』を「不正確に要約し、批判するケース」の唯一の例として、この泥の非難を自ら紹介する。泥の「全体の論旨がまるで異なった」ものになったとの非難が実際には自分に向けられていることに朴は気づいていないのである。滑稽というほかない。
これまでも朴は『帝国の慰安婦』からは明らかに導き出せない主張を自著の「要約」として示し、批判者の「誤読」を非難するという驚くべき「反論」法をくりかえしてきたが、今回は度を越している。自らが日本語版に際してどのような修正を加えたのかすら「忘却」してしまっているのである。一種の「才能」というべきであろうか。
追記
以前にも書いたが、韓国では、教授の職位に無くても専任職の大学教員を「教授」と呼ぶ変な慣習がある(もしかしたら非専任職にも使うのかもしれないが、経験上、非常勤講師だった頃に「教授」と呼ばれたことはない)。『ハンギョレ』などの新聞で私の肩書(准教授)が「教授」となっているのはこのためである。韓国のこうした慣習自体いかがなものかと思うが、少なくとも日本語版の翻訳記事でどうしても職位を載せる必要があるときには正確に掲載していただきたい。
(鄭栄桓)
要するに、韓国語版を日本語版に直す時、朴裕河氏は、元の文章が分からないほど、大きく変更を加えた。
泥憲和氏は、それに気付かないで、てっきり鄭栄桓氏が変更を加えたと勘違いしてしまった。そしてこれを朴裕河氏にご注進。
ところが、ここで朴裕河氏も、その変更を自分が加えた変更だと気付かないで、鄭栄桓氏への攻撃材料として使ったというなんとも稚拙な話である。
どうにも嫌になっちゃうね。
それにしても以前、私に「朴裕河さんの著作への読み込み不足だ」とか言い張った泥さんだが、こんな初歩的なミスをしながら、そういう事をいうわけだから、やれやれというしかないな。
あ
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