2016年1月17日日曜日

ベトナム戦争

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まず第一に、米国が撤退する際のパリ協定において「停戦」が謳われたにも関わらず、北ベトナムは結局それを破って南ベトナムを攻撃したという反則がありました。康さんは「脆弱な政権」だと言いますが、それはそれで一つの事実ですが、相手が脆弱であるかに関係なく「停戦協定を破った」のは事実です。この手の嘘・謀略はベトナム戦争のつきものでした。なんせ最初から北ベトナムは武力で赤化統一する事を決めていたからです。ゆえに協定は守る気もなかったわけです。しかしそれが分かっているのは今日であって、当時の人々は「米国帝国主義者の侵略」であるという北ベトナム側の位置付けを信じていた。いや、今でもこの手の事を信じている不勉強な人は多いのでしょう。

この伊藤正子さんの記事もク・スジョン氏の『ハンギョレ21』の報道を吸収するところから始まっている。もう少し資料批判をして、その資料の性質をつかまないと。要するにどんな動機でベトナム政府がこの資料を出したかを推理してみることが重要なのです。それは国交は回復したが、経済発展力の点でまるでかなわない韓国に対して、精神的に優位を立つための手段です。韓国は大変な時代ですね。日本の右派に歴史戦を仕掛けられ、ベトナムからも歴史戦を仕掛けられており、北朝鮮はいまだに「朝鮮戦争は、韓米が仕掛けた」と言い張っている。全ての歴史修正主義に対する闘いが存在している。その全ての勝利しないと民族アイデンティティがボロボロになるでしょうね。ベトナムに話を戻すと、2003年にベトナム共産党は抗米戦争の総括を行ったが、彼らの口からは「常に正しい党の統一的な指導による輝かしい勝利」が語られ、民族解放戦線など最初から無かったように無視したという。(中野亜里『ベトナム戦争の戦後』)そういう思想統制されているところが意図的に出して来た情報なのだと理解しておくべきです。

<ベトナム戦争を簡単に振り返る>
1959年にはすでにホー・チミンを主班とする北ベトナム労働党は、南ベトナムの武力解放を決定していた。(小倉貞男『ドキュメントベトナム戦争全史』)つまり、最初から武力で征服するつもりで、解放戦線に物資と人員を送りそのテロを支援し、同時に宣伝活動を繰り広げた。ホ・チミン率いるベトナム民主共和国をソビエト連邦と中華人民共和国が国家承認し、援助を与えていた。これは共産化するための戦争だったのである。米国側は、北ベトナムと解放戦線を「ベトコン」と呼び、これを共産化されることから世界を守る戦争だと位置づけた。そして士気が最も高かったのが、朝鮮戦争の記憶を持つ反共的な韓国軍だった。1968年秋からアメリカ軍は、少しずつベトナムから撤退しはじめるが、韓国軍はその後もこの地に残って闘いつづけた。しかし、日本でも米国でも北ベトナムがつき続けた嘘を信じる人の方が多かった。共産勢力側は、「米国帝国主義者の侵略」であると位置付けていたからだ。今の日本とまったく同じようなことが世界的に起こっていたのである。人々は本当の事よりも、嘘を信じることを好む。そういう時代だった。
解放戦線、北ベトナム=善
南ベトナム、アメリカ=悪
の図式が造られた。

<長期に渡って唱えつづけられた嘘>
A、南ベトナム民族解放戦線議長のグエン・フートは、インタビューに答えて「私は共産主義者ではない」といい続けた。(『アメリカはなぜ勝てなかったか』P120)解放戦線は「民主、独立、中立」を叫んだが、実際には共産化に向かってまっすぐ進んでいた。

B、北ベトナムのホ・チミンは、「独立と自由より尊いものはない」という魅力的な言葉を述べ、1968年、ホ・チミンの跡を継いだ北ベトナムのファン・バン・ドン首相は、「我々が軍事力を用いて南を強引に併合などといった、そんな馬鹿げた、そして犯罪同様なくわだてを持っていると思って欲しくありません。」とまったくの嘘を述べていた。(『アメリカはなぜ勝てなかったか』P13)その”犯罪同様のくわだて”を数年後には実行している。

C、徳岡孝夫が『ベトナム戦争忘れていいのか』の”まえがき”で、「日本の知識人も新聞人もこぞってベトナムに熱烈な拍手を送っている」と書いているように、日本のあらゆるメディアがこうした嘘を信じ込んだ。例えば1965年、2月9日の読売新聞社説は、「ベトナム不拡大望む」の見出しで、「ベトコン勢力の源泉はベトナム民族主義だ」と盲目的な意見を述べている。やがて生まれたベ平連は、全共闘などと連携して七万人を集める反戦集会を行ってみせたが、北ベトナム側の宣伝を信じ込み、米国をターゲットにした反戦運動を繰り広げた。決して、共産主義者だけの集団ではなかったが、容共的であったし、北ベトナムとその背後のソ連が世界支配の野望をもってアジアに進出を狙っている事にはまったく無知であった。米軍の撤退を持って解散したという事実は、結局は、この団体にとっての「反戦」は「反米」であったと言えるだろう。そして米国内部でも北ベトナムの嘘を信じる人はたくさんいた。

D、共産側の「米国帝国主義者の侵略に抵抗する解放闘争」という嘘と日本の右翼勢力が使っている詭弁論説「あの戦争は欧米の侵略に抵抗する解放戦争であった」はよく似ている。詭弁というものは誰が造っても似た構造があるようだ。

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