2018年5月4日金曜日

ベトナム戦争を巡って、FBでのやりとり 


https://www.facebook.com/groups/comfort.stations.issue/permalink/1676721972586363/

康 昌宗さんが投稿をシェアしました。
姜 聖律さんのご投稿を共有し、記事の一部を抜粋します。
韓国の歴史を記録するために、韓国内にも「ベトナムピエタ」が設置されることを願います。
『ベトナム ピエタは縦横70センチ、高さ150センチ、重量150キログラムのブロンズで製作される予定だ。重量450キログラムの花崗岩がベトナムピエタを支える。
 キム・ソギョン氏とキム・ウンソン氏は12日、ハンギョレとのインタビューで「韓国政府は日本軍『慰安婦』被害者問題に関して、日本政府に正確に謝罪を要求し、受け取らなければならない。 また、ベトナム戦争における民間人虐殺に対しても正確に謝罪しなければならない。 現在韓国政府は二つともできずにいる」と話した。 キム・ソギョン氏は日本軍「慰安婦」被害者たちが提案して設立された「蝶基金」事業の一環で昨年ベトナムを訪問し、韓国軍による強姦など女性への性暴力事例を共同調査した。 韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)と韓国・ベトナム平和財団建設推進委は被害者ハルモニ(お婆さん)の基金などでベトナム民間人虐殺問題を調査・研究している。』
------ 以下、姜 聖律さんのコメント
 日本軍「慰安婦」問題を政治的な妥協で幕引きしようとする韓国政府は、韓国軍のベトナム戦争での虐殺行為についても頬かむりをする。日本大使館前の少女像を移転すれば、ベトナムピエタが韓国国内に建つ。
 韓国政府は、日本軍「慰安婦」に対する公式謝罪と法的賠償を日本政府に要求せよ。そして、ベトナム戦争における虐殺行為に対して、公式謝罪と法的賠償を行え。

ベトナム民間人虐殺に目を向けた キム・ソギョン、キム・ウンソン作家
JAPAN.HANI.CO.KR
康 昌宗さんに関する情報はこちら。

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掘家 泰弘 意見を募るためにこっちにもコメントしておきます。
「戦争の傷跡をモニュメントとして残す」という行為は必要なものだと思いますが、「ベトナム戦争における民間人虐殺に対しても正確に謝罪しなければならない。」はどうでしょうね?
私が昔調べてみた範囲では、「北ベトナム・南ベトナム民族解放戦線」側も多数の南ベトナムの民間人を殺害していると思います。にも関わらず、偉そうに謝罪を求める権利はベトナム政府には存在していない。この問題はク・スジョン記者が『ハンギョレ21 』(1999年 05月 06日 第256号)に書
いたのが発端ですが、1997年にベトナム政治局から出された「戦争犯罪調査報告」に多くを依拠している。そのためベトナム政府側が犯した犯罪のような住民虐殺についてはまったく記述していない。そのような情報の偏りの中で書かれているものです。ゆえにもし韓国政府が謝罪するなら、ベトナム政府と共に巻き添えをくったベトナム民衆に対して謝罪すべきであって、ベトナム政府に対して謝罪する必要はまったくないでしょう。ベトナム政府は民間人虐殺の正犯人だからです。

北ベトナムの支配下であり、武器と人員の支援を広範に受けていた民族解放戦線のテロは、南ベトナムの要人ばかりではなくその家族にまで及んでおり、また地方官僚の一族を根絶やしに殺すような事例さえあり、そのうえ共産側が多用したB10砲兵ロケット砲は、非誘導弾であったため命中精度は低く、都市部へ撃ち込まれた場合が多くの市民を巻き添え殺傷した。さらに北ベトナム軍が国境である非武装地帯を越えて侵入した「テト攻撃の際には数千人の南の住人を殺害した」と三野正洋は『アメリカはなぜ勝てなかったのか』で書いています。私は三千人の民間人をテトで殺したという記述も見たことがあります。

現在のベトナム社会主義共和国は、この北ベトナムが解放戦線を操りながら、米国が撤退した後に反則みたいなやり方で赤化統一したものでしょう。いわば、民間人虐殺の犯人です。この犯人に対して謝罪などする必要があるわけがない。強いて言えば、ベトナム政府と韓国政府が共に、ベトナムの民衆に対して、「戦争の巻き添えで殺した人もいた。申し訳ない」と謝罪すべきです。繰り返しますが、ベトナム政府に対して謝罪などすべきではない。ベトナム政府もまた正犯人であり、民衆に対して謝罪すべきなのです。

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池田 優子 分けます。
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返信2年前
近藤 伸生 準備も間に合わないし、この場にふさわしいとも思いませんのでここでは詳細を書きませんが、今のヴェトナム政府がヴェトナム民衆虐殺の犯人などというのは、驚きです。ヴェトナム戦争についての本質と具体的事実からかけ離れた議論です。勿論、戦争はあらゆる市民を殺害し犠牲とするもので、正しい戦争など無いと考える私ですが、アメリカ軍や韓国軍、南ヴェトナム軍の行ったことについては数々の記録があり、これに対して、北ベトナム政府軍と南の解放戦線らが、住民虐殺したとの歴史事実を確認したこともありません。
過去の行為を誰に謝罪するかということは、国家に対しても、縁故の具体的市民に対して行っても、どちらもありうるものでしょう。
ともあれキム・ソギョンさん達の行動に私は支持の気持ちを持っています。

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返信2年前
掘家 泰弘 >北ベトナム政府軍と南の解放戦線らが、住民虐殺したとの歴史事実を確認したこともありません。< 確認したことが無いから無かった、と言われるつもりでしょうか?ベトナム戦争に関するベトナム側の記録には無いでしょうが、連合軍側の記録に存在しています。それは自分で調査すればいいと思います。現在図書館などでもいくつかは調べられるはずです。しかし現在の地球上で最も強い部類の情報統制国家であるベトナムからは、その証言などは出て来ないでしょうね。それが70数年前の日本の軍閥であろうと、共産主義国家であろうと一党支配というものは、国民の力が極端に弱くなり、政府による情報統制を可能にしてしまうものですから。
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康 昌宗康 昌宗さん、他5人が慰安所問題のメンバー、モデレーター、設定、投稿を管理しています。 堀家さんへ

>現在のベトナム社会主義共和国は、この北ベトナムが解放戦線を操りながら、米国が撤退した後に反則みたいなやり方で赤化統一したものでしょう。


アメリカの南北戦争も、中国の国共内戦も武力で統一されましたが、ベトナム以外の内戦の決着が「反則みたい」でないとすれば、その基準はなんでしょうか。
南側のベトナム共和国が、米国が撤退すればすぐに崩壊する脆弱な政権であったのではないでしょうか。

公式謝罪については、ベトナム政府側も被害者の記憶に蓋をしようとしているのですから、民間の活動を通して、社会の認識を変えていくことがより重要なんでしょうね。

韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題――戦争の記憶と和解
http://www.huffingtonpost.jp/.../historical-awareness_b...

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返信2年前
掘家 泰弘 まず第一に、米国が撤退する際のパリ協定において「停戦」が謳われたにも関わらず、北ベトナムは結局それを破って南ベトナムを攻撃したという反則がありました。康さんは「脆弱な政権」だと言いますが、それはそれで一つの事実ですが、相手が脆弱であるかに関係なく「停戦協定を破った」のは事実です。この手の嘘・謀略はベトナム戦争のつきものでした。なんせ最初から北ベトナムは武力で赤化統一する事を決めていたからです。ゆえに協定は守る気もなかったわけです。しかしそれが分かっているのは今日であって、当時の人々は「米国帝国主義者の侵略」であるという北ベトナム側の位置付けを信じていた。いや、今でもこの手の事を信じている不勉強な人は多いのでしょう。

この伊藤正子さんの記事もク・スジョン氏の『ハンギョレ21』の報道を吸収するところから始まっている。もう少し資料批判をして、その資料の性質をつかまないと。要するにどんな動機でベトナム政府がこの資料を出したかを推理してみることが重要なのです。それは国交は回復したが、経済発展力の点でまるでかなわない韓国に対して、精神的に優位に立つための手段です。韓国の人は大変な時代ですね。日本の右派に歴史戦を仕掛けられ、ベトナムからも歴史戦を仕掛けられており、北朝鮮はいまだに「朝鮮戦争は、韓米が仕掛けた」と言い張っている。全ての歴史修正主義に対する闘いが存在している。その全ての勝利しないと民族アイデンティティがボロボロになるでしょうね。ベトナムに話を戻すと、2003年にベトナム共産党は抗米戦争の総括を行ったが、彼らの口からは「常に正しい党の統一的な指導による輝かしい勝利」が語られ、民族解放戦線など最初から無かったように無視したという。(中野亜里『ベトナム戦争の戦後』)そういう思想統制されているところが意図的に出して来た情報なのだと理解しておくべきです。

<ベトナム戦争を簡単に振り返る>
1959年にはすでにホー・チミンを主班とする北ベトナム労働党は、南ベトナムの武力解放を決定していた。(小倉貞男『ドキュメントベトナム戦争全史』)つまり、最初から武力で征服するつもりで、解放戦線に物資と人員を送りそのテロを支援し、同時に宣伝活動を繰り広げた。ホ・チミン率いるベトナム民主共和国をソビエト連邦と中華人民共和国が国家承認し、援助を与えていた。これは共産化するための戦争だったのである。米国側は、北ベトナムと解放戦線を「ベトコン」と呼び、これを共産化されることから世界を守る戦争だと位置づけた。そして士気が最も高かったのが、朝鮮戦争の記憶を持つ反共的な韓国軍だった。1968年秋からアメリカ軍は、少しずつベトナムから撤退しはじめるが、韓国軍はその後もこの地に残って闘いつづけた。しかし、日本でも米国でも北ベトナムがつき続けた嘘を信じる人の方が多かった。共産勢力側は、「米国帝国主義者の侵略」であると位置付けていたからだ。今の日本とまったく同じようなことが世界的に起こっていたのである。人々は本当の事よりも、嘘を信じることを好む。そういう時代だった。
解放戦線、北ベトナム=善
南ベトナム、アメリカ=悪
の図式が造られた。

<長期に渡って唱えつづけられた嘘>
A、南ベトナム民族解放戦線議長のグエン・フートは、インタビューに答えて「私は共産主義者ではない」といい続けた。(『アメリカはなぜ勝てなかったか』P120)解放戦線は「民主、独立、中立」を叫んだが、実際には共産化に向かってまっすぐ進んでいた。

B、北ベトナムのホ・チミンは、「独立と自由より尊いものはない」という魅力的な言葉を述べ、1968年、ホ・チミンの跡を継いだ北ベトナムのファン・バン・ドン首相は、「我々が軍事力を用いて南を強引に併合などといった、そんな馬鹿げた、そして犯罪同様なくわだてを持っていると思って欲しくありません。」とまったくの嘘を述べていた。(『アメリカはなぜ勝てなかったか』P13)その”犯罪同様のくわだて”を数年後には実行している。

C、徳岡孝夫が『ベトナム戦争忘れていいのか』の”まえがき”で、「日本の知識人も新聞人もこぞってベトナムに熱烈な拍手を送っている」と書いているように、日本のあらゆるメディアがこうした嘘を信じ込んだ。例えば1965年、2月9日の読売新聞社説は、「ベトナム不拡大望む」の見出しで、「ベトコン勢力の源泉はベトナム民族主義だ」と盲目的な意見を述べている。やがて生まれたベ平連は、全共闘などと連携して七万人を集める反戦集会を行ってみせたが、北ベトナム側の宣伝を信じ込み、米国をターゲットにした反戦運動を繰り広げた。決して、共産主義者だけの集団ではなかったが、容共的であったし、北ベトナムとその背後のソ連が世界支配の野望をもってアジアに進出を狙っている事にはまったく無知であった。米軍の撤退を持って解散したという事実は、結局は、この団体にとっての「反戦」は「反米」であったと言えるだろう。そして米国内部でも北ベトナムの嘘を信じる人はたくさんいた。

D、共産側の「米国帝国主義者の侵略に抵抗する解放闘争」という嘘と日本の右翼勢力が使っている詭弁論説「あの戦争は欧米の侵略に抵抗する解放戦争であった」はよく似ている。詭弁というものは誰が造っても似た構造があるようだ。
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康 昌宗康 昌宗さん、他5人が慰安所問題のメンバー、モデレーター、設定、投稿を管理しています。 堀家さんへ

北ベトナム側は旧宗主国と戦ったパルチザンが中心の政権で、旧宗主国のフランスに作られたのが、南ベトナムであったのだから、「最初から北ベトナムは武力で赤化統一する事を決めていた」として、外国(植民地を持つ大国)が干渉してくることに正義はないと、北ベトナムの指導者は思ったのではないでしょうか。


私の母方の祖母は、韓国・慶尚北道から1930年代に祖父と一緒に日本に来ましたが、祖母の弟たちは中国の延辺に移住しました。
祖母の弟のうち一人は、朝鮮人部隊として中国共産革命に参加し、革命成功後に朝鮮人部隊は毛沢東から、次は朝鮮の革命を成就させる番だとの言葉を直にもらったそうです。国共内戦に参加していた朝鮮人部隊は実践経験が豊富で、朝鮮戦争でも重要な役割を果たしたと聞きます。祖母の弟も朝鮮戦争でも活躍し、戦争終了後は英雄として平壌で幸せに暮らしました。中国の内戦に直接介入しなかったアメリカは、朝鮮では国連の力を利用して内戦に直接介入しましたが、朝鮮の指導者たちは、アメリカに正義はないと思っていたのではないでしょうか。(※朝鮮戦争については、ブルース・カミングスが「朝鮮戦争の起源」で、1950年の開戦以前から既に南側では、アメリカの軍政の失敗により内戦状態であったことが詳細に分析された著書があります。和田春樹氏などはカミングスの起源説に批判的ですが、朝鮮戦争研究でカミングスが果たした役割の大きさは認めていると思います。)

私は別にマルキシストではありませんが、ベトナムが「赤化統一」されたことは、ベトナムの人々の意思の結果であったと思います。今の朝鮮半島で武力が用いられることはあってはならないことですが。
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掘家 泰弘 康 昌宗さん 慰安婦問題では実証的な歴史観を持っている康 さんが、こと北ベトナムについては、まったく立証することを怠りながら、「外国(植民地を持つ大国)が干渉してくることに正義はないと、北ベトナムの指導者は思ったのではないでしょうか。」と想像を述べる理由は何でしょうか?もしそう思われるなら、歴史事実と論理を組み合わせ、説得力のある話をしてください。まったく説得力の無い想像を話されても、納得する訳がありません。「ベトナムが「赤化統一」されたことは、ベトナムの人々の意思の結果であったと思います」であるなら、どうして10万~30万人だというボートピープルが生まれたのでしょうか?彼らは思想キャンプに入れられそうになったので逃げたとか話していました。現在ベトナムは、報道の自由度が非常に低い国です。報道が統制されるという事は、統制しないとヤバい情報が出てくるからです。安倍や自民党が一生懸命、報道機関に圧力をかけているのは、圧力をかけないと批判されまくるからです。しかしベトナムはもっと病んだ国でしょう。一党独裁は民主主義ではありません。
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康 昌宗康 昌宗さん、他5人が慰安所問題のメンバー、モデレーター、設定、投稿を管理しています。 ベトナム戦争の評価については今後はお互いに学ぶ考えていくとして、韓国軍がベトナムの地で民間人を虐殺したことは確かなのですから、被害者への謝罪と賠償、歴史教育がなされていくべきだと思います。
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掘家 泰弘 それは上で述べているように否定しませんが、韓国政府がベトナム政府に謝罪するような形にはすでに反対しています。
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康 昌宗康 昌宗さん、他5人が慰安所問題のメンバー、モデレーター、設定、投稿を管理しています。 ベトナム戦争、ベトナムの歴史について、堀家さんは下記書籍の著者・中野亜里さんを賛同される立場に近く、私は徐京植さんや書評者を賛同する立場に近いと思えました。ベトナムの関連書籍は私もあまり読んでいないので、今後もっと学んでいこうと思います。

中野亜里.『ベトナムの人権―多元的民主化の可能性』福村出版,2009年,466p.伊藤正子

https://www.asafas.kyoto-u.ac.jp/.../no_1001/AA101_4_BR.pdf

『評者が違和感を抱いたのは,第一の「ベトナム革命とは何であったか」という問いについてである.誤解を恐れず簡略化すれば,ベトナム革命は「民族独立」闘争であったか,ただのイデオロギー闘争であったのかという古くて新しい基本的認識の部分である.著者の観点は後者であり,それは先の現在のベトナムの政治体制を特徴づける歴史的要素①から④の中に,アメリカが介入したためにベトナム戦争が始まったという視点が全く示されていないことからもわかる.

ベトナムの戦ってきた長い戦争がフランスの植民地支配と,植民地なき帝国であるアメリカの横暴な支配に対する抵抗戦争であった,という基本的な認識が,現政府の強権政治を批判するあまり,著者のベトナム戦争観からいつの間にか抜け落ちてしまっている.

評者も,革命の過程でベトミンにも過った行為があったことや,現国家のあり方が社会主義の理想から大きく乖離し抑圧的になっていることをもちろん否定しないが,それをもってベトナムの反植民地戦争,民族独立戦争の歴史的正当性が失われるものでもやはりないと考える.著者の捉え方には,ベトナム戦争がどのような世界情勢の中で行なわれたのか,植民地支配に抵抗して独立を求めた人々の最後の熱い戦いであったという人類史における位置づけへの視点が欠けているといわざるを得ない.

韓国の朴正煕政権下で二人の兄が国家保安法容疑で逮捕されその救援活動と韓国民主化運動に携わった徐京植は,同じ中野の著作[中野 2005]を評して,以下のように述べている.

「(同書は…評者注)新しい世代の研究者たちが抗米戦争終結と南北統一後におけるベトナムを論じた論集であり,現在のベトナムが抱える諸問題について学ぶところが少なくないが,筆者の一人(中野執筆分…評者注)による次の記述は,強い疑問を覚えた.『ベトナム革命に共感を寄せる日本人は,ベトナム人の上にアメリカ帝国主義の犠牲者の姿を見出そうとする.しかし,戦時中と戦後の混乱期の犠牲者の76%は,ベトナム人どうしの殺し合いによるものだという数字もある[BuiTin 2003].外国軍による残虐行為に正当化の余地はない.しかし,ベトナム人が同じ民族の多様な思想・心情を排除し,単一のイデオロギーで強権支配を行ったことは,外国の敵の侵略よりも大きな民族的悲劇と言えるのではないだろうか(p. 57)』.

この筆者は,はたして植民地支配というもののシンプルな本質を理解しているだろうか? 帝国主義はいつでも,解放勢力との闘争を『おなじ民族どうしの殺し合い』という形式で遂行しようとするものだ.ベトナム戦争こそ,その好例である」[徐 2006: 89].

本書において評者が疑問を覚えたのは以下のくだりであり,その疑問は上記の徐の指摘と同質のものである.

「わが国では,ベトナムについて『民族解放』と『社会主義』という『神話』ができ上がっている.つまり,正義の民族解放勢力が悪のアメリカ帝国主義に勝利し,アメリカとその傀儡政権から南部を解放し,民族を統一して社会主義国家を建設した,という非常にわかり易い勧善懲悪のストーリーである.しかし,そのわかり易さのために,ベトナムに内在する深刻な諸問題が看過されてきた(あるいは無視されてきた)といえるだろう(p. 14).」「一つの民族が分裂して敵対し,一方が他方を強権的に支配したことから発生した人権侵害は,外国軍の攻撃より根の深い悲劇ではないだろうか(p. 425).」「ベトナムに内在する深刻な諸問題が看過されてきた」ことについては,まさにそのとおりである.

そのことについて,「責任はベトナムを研究する学者にもあるといわねばなるまい(p. 14.)」とする著者の指摘は耳が痛い.

しかし,現在ベトナムが深刻な諸問題を抱えていること,あるいはベトナム統一後に現政権の南に対する強権支配があったことを理由に,植民地支配・帝国主義に対するベトナムの戦い自体の正当性を否定し,「一つの民族が分裂して敵対し」たとして,ベトナム戦争を南北の内戦に矮小化することは,帝国主義的本質の変わらないアメリカの戦争の論理に追随することに他ならない.イラク戦争に言及するまでもないが,アメリカが「意に反する政府を倒すことを辞さない点では,紛れもない帝国としての相貌もそなえている」[藤原 2002: 24]ことを看過し,「『アメリカ』という自由の空間を外部に広げることは,内政干渉どころか自由の拡大であり,無謀な権力行使ではなく使命の実現だ」[藤原2002: 30]という介入の論理を追認することにつながるだろう.』

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近藤 伸生 賛成です。加えて、統一ベトナム初期の1982年、82年、83年当時に、頻繁にベトナムを取材し、またカンボジアに常駐してベトナムを行き来していた者としては、この当時に限ってのこととしては、ベトナム社会に、南に対する強権支配があったという認識は殆どありません。当時は、勝利者側の権力者の中に汚職・腐敗が蔓延し始め、ベトナム政府は著明な軍幹部でさえ、その処分を始めていた時代でした。また、戦後復興の社会的経済的そして精神的負担は大変重く、国際社会は十分な援助をできていなかったというのも実情でした。これ以上は、ここで論じませんが、中国や当時のソ連のベトナムへの内政干渉やアメリカをはじめとする国々の、ボートピープルを煽る宣伝などの中で、ベトナムは、当時驚くほど冷静に不安を持つ市民の国外脱出に対しても、許容していたというのが、当時の印象です。
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返信2年前
掘家 泰弘 >当時は、勝利者側の権力者の中に汚職・腐敗が蔓延し始め、ベトナム政府は著明な軍幹部でさえ、その処分を始めていた<・・・これは誰の粛清を指しているのですか?
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返信2年前
近藤 伸生 ボーグエンザップ将軍の周辺です。後に彼も、総括します。
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返信2年前
掘家 泰弘 まず現地に行ったから、何かを知ることができるというのが間違いだと思います。80年代というとあの北朝鮮に行った報道人も、社会党などの訪朝団も、飢えた人々や強制収容所に入れた人々を見ていないですよね。訪朝したから、そういう事を知るわけではないということです。むしろ情報統制国家では現地の報道に惑わされやすい。情報は統制されているからです。一党支配でありそれは民主主義ではなく独裁体制なのです。ちなみに広瀬隆の「赤い楯」によればソ連崩壊後のロシアの辞書に、スターリンばかりかレーニンも恐怖政治を行ったことが書かれているそうです。そういう情報も体制が崩壊しない限り出てこない訳です。ベトナムも今の体制が崩壊したら、どんな情報が出てくるか?まあ時間の問題ですね。
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返信2年前
近藤 伸生 掘家 泰弘 様 コメント有り難うございます。 別に、私はベトナムに限らず、現地に入ったら何でも真実が分かるなどとも考えていません。同時に、当地でしか得られないものもあるとも思っています。そして少なくとも自分自身が、ある出来事についての補助的な事実や間接的な事実を得て、自分として全体をどう理解できるかを検証しているにすぎません。おっしゃるとおり、後になって出てくるおどろおどろしい事がたくさんあるでしょう。それは出てきたら、受け止めればいいと思っています。砂川事件最高裁判決の歪みと田中耕太郎最高裁長官とアメリカの関係など、資料が開示されて、この日本という国は或いは時の政府は何という売国的な行動をとったのか、をこれでもかと痛感したように。
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返信2年前
掘家 泰弘 ベトナム戦争について考えるは、まず冷戦構造について考える必要があります。1945年、第2次世界大戦が終結した時から、米ソの対立が始まりました。ソ連は侵攻した北朝鮮を共産化したばかりではなく、ルーマニアなどの東欧諸国にまで侵攻し衛星国として共産主義国家化した。その他、あらゆる所で国際共産主義シンジケートに援助を受けた共産ゲリラにより、大使館ジャックやハイジャックがなされ、テロが活性化し、暴力革命が試みられていた。それが冷戦期の世界でした。
そしてひとたび血と暴力で共産化されると一党支配の下、その国には
強い言論統制がなされました。しかし言論の自由は人間の本質的要求なので、反発も当然強くなされ、強制収容所が大賑わいというのが共産国家の実態であります。ここで議論となるベトナムも思想改造を行うための思想キャンプがありました。
共産化された国では同時に大量の虐殺が引き起こされました。ソ連では3000万人~5000万人とも言われる粛清の犠牲者があり、中国は文化大革命での2000~3000万人、カンボジアのポルポトは全国民の4分の1に当たる200万人を粛清、殺害したといいます。これほど大量の虐殺は第2次世界大戦での犠牲者を優に上まるものです。そしてこのような言論統制と内部粛清(虐殺)こそ、共産主義の性質を著わしている。理想の世界ができるような事を言っていたマルクスだが、それは最初から嘘であったというのが共産主義の実態でしょう。そのため米国を中心とした西側諸国はこれに対していた。
ボルシェビキ革命の時代から米国議会はその革命の残虐さに眉をひそめていた。もちろん米国自身も麻薬の蔓延などの病弊をもっていたわけですが、国家権力が鉄のカーテンをひいて情報統制したり、収容所に放り込んで思想改造し、あるいは虐殺するほどの大きすぎる規模の病弊は無かったからです。共産主義とは、開祖マルクスが述べたようにまさに妖怪に他ならなかった。この妖怪は世界を赤化しようと狙っていた。コミンテルンの目的は、いうまでもなく世界共産主義革命でした。
こうした時代にベトナムでも、代理戦争が引き起こされたのでした。それは冷戦の1局面なのです。
さて今日のベトナムがそれほど大きな危険があるとは私は思っていません。冷戦は終わったからです。しかし、「ベトナム戦争は米の帝国主義からの解放戦争」などという理解は事実として間違っているのです。1990年ごろからの米国のエゴには私も批判的ですがね。

こうした認識に対して、現在でも存在する共産主義信奉者およびにまったく警戒心に欠いている容共主義の方からは反発を受けるでしょうが、それはそれだけの事です。
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